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記事全文を読む→【もうすぐ40年】史上最悪のJAL123便「墜落事故」で「坂本九を探しに山へ登れ」の指令が!
日本航空123便の墜落事故が起きてから、もうすぐ40年になる。東京国際空港(羽田空港)発の日本航空123便が群馬県上野村の高天原山山中(通称:御巣鷹山の尾根)に墜落し、520名もの死者を出した、日本の航空史上最悪の事故である。
事故の第一報が出たのは1985年8月12日の夜。夏休みをとっていた新聞記者の筆者は、自宅のテレビのニュースでこれを知った。第一報は123便が東京管制部のレーダーから消失し、なんらかのトラブルが起きた可能性がある…といったものだった。
その後、乗客名簿に坂本九の本名「オオシマヒサシ(大島九)」の名前があることが分かった。8月13日の深夜に、陸上自衛隊が墜落現場を確認した。
その後、多くのメディアが墜落現場へと向かった。当初は現場に行く必要はない、という姿勢だったが、8月15日の時点で坂本の安否が不明だったこともあり、「現場に行け」という指令が筆者に出た。
Tシャツにジーパンという、ほぼ何の装備もしないまま山を登ることになり、自社の車で現場に向かった。今にして思えば、あまりにも無謀な指示だった。
8月16日の夜に山のふもとに到着し、17日の早朝から現場に向かう予定だった。ところが、車で現地に向かっている最中の16日深夜に自動車電話(当時は携帯電話がなかった)が鳴り、「坂本九の遺体が確認され、自宅に戻ることになった」と知らされた。
その電話から1時間ほど経った頃だろうか、前方に煌々とした光が見えた。数十台の車の隊列だった。坂本の遺体が載った車の後ろに、何十台ものメディアの車が連なっていたのだ。
真っ暗な山道を時速30キロほどのゆっくりした速度で隊列を作っているさまは、荘厳なセレモニーのようだった。筆者が乗った車はUターンして、そのまま最後尾について東京に向かった。
8月17日の午前5時前、坂本の遺体は東京都目黒区の自宅に到着。遺体が入った棺が自宅に入ると「ああ~!」と泣き叫ぶ声の後、10人以上の嗚咽が早朝の住宅街に響き渡った。
あれほどまでに哀しい人間の声は聞いたことがなかった。筆者は呆然と立ち尽くしていた。
1時間ほどすると、報道陣は次々と引き上げた。筆者は結局、一睡もしておらず、強烈な日差しに襲われてぐったりとし、一方で山に登らないで済んだことに安堵していた。
あとになって知ったことだが、現場に向かう途中で遭難し、救助された週刊誌記者がいたことを知った。あるいは凄惨すぎる光景が広がる現場を見たことで、それがトラウマになり、苦しんだ記者もいたと聞く。
不謹慎かもしれないが、筆者はもしかしたら坂本九に救われたのかもしれない…などと勝手に思っている。
(升田幸一)
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