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記事全文を読む→前人未踏の金字塔「個人馬主2000勝」武豊を救った名物オーナー「メイショウ松本好雄氏」死去の波紋
競馬界に訃報が舞い込んだ。冠名「メイショウ」で知られる名オーナーの松本好雄氏が、8月29日に膵臓ガンのため87歳で亡くなっていたことが明らかになったのだ。死の6日前には、個人馬主として唯一のJRA通算2000勝を達成したばかりだった。
1974年に馬主登録し、2009年からは約7年間、日本馬主協会連合会会長を務め、その後は名誉会長の座にあった。通算2000勝は個人馬主としてはもちろん、ダントツの数字だ。実子の好隆氏も馬主として知られるが、こちらは通算136勝。
本業は船舶用エンジン製造「株式会社きしろ」の代表役取締役会長で、本社が兵庫県明石市にあることから「明石の松本」から「明(メイ)」と「松(ショウ)」をとって、メイショウを冠名にしていた。もとより「名将」にもかけていたわけで、まさしく名将が競馬界から去ったことになる。
競馬ファンならずとも、松本氏が所有した馬の名前は聞いたことがあるはずだ。例えば名馬テイエムオペラオーとシノギを削った、メイショウドトウ。2006年の皐月賞、日本ダービーを制し、2冠馬として翌2007年にも天皇賞を春秋連覇したメイショウサムソン。数え上げればキリがないほどである。
「松本氏は『馬のことは何もわからない』と語り、調教師や騎手を信頼して全て任せる、おおらかな人柄で知られていました」(競馬ライター)
血統の良い馬を産出する大手牧場ではなく、資金力に劣る中小の牧場との付き合いを大事にし、常にホースマンへのリスペクトを持ち続けた。
「ことに有名なのは、武一族との親交です。武豊の父・邦彦氏とは互いに親友と呼び合う間柄で、弟の幸四郎もメイショウマンボでオークスと秋華賞を勝っています。豊が落馬事故から復帰し、勝ち星が伸びなかった時には『日本一のジョッキーをここで腐らせるわけにはいかない』と騎乗依頼を続けました」(前出・競馬ライター)
松本氏にとって、人生最後のG1戴冠となったのは今年5月の宝塚記念、メイショウタバルだった。
「メイショウドトウで馬主として初めてG1を獲った宝塚記念で、トレーナーはメイショウサムソンの主戦騎手だった石橋守調教師、そして騎手が武豊でした。レース後のインタビューで、通算4600勝を数えるあの武豊が『涙が出そうになるくらい嬉しい』と言葉に詰まるほどドラマチックな勝利となった。松本氏の喜びはひとしおだったことでしょう」(競馬サークル関係者)
松本氏の座右の銘は「人がいて、馬がいて、また人がいる」。偉大なオーナーの死去に、競馬界の誰もが冥福を祈っている。
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