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記事全文を読む→「プロレスVS格闘技」大戦争〈驚異の91連勝を樹立したイワン・ゴメス ルスカとの“マラカナンの決闘”は伝説に〉
現在の総合格闘技の原型とされるバーリ・トゥード(ポルトガル語で「何でもあり」の意味)が日本で注目されるようになったのは、1993年11月12日に米国コロラド州デンバーで開催された格闘技大会「アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ」(UFC)でグレイシー柔術のホイス・グレイシーがパンクラスの外国人エースのウェイン・シャムロックや前田日明と激闘を展開したオランダの喧嘩屋ジェラルド・ゴルドーを撃破して優勝してからのことだ。
UFC大会は、グレイシー柔術アカデミーを主宰するホリオン・グレイシーが、ブラジルで盛んに行われていた様々な格闘技の選手を何でもありで対戦させる、危険な試合形式をアメリカに持ち込んだもの。
バーリ・トゥードは日本のプロレスファン、格闘技ファンに衝撃を与え、やがて日本で総合格闘技ブームが巻き起こるが、UFCより18年も前、バーリ・トゥードの英雄が日本に登場していた。それが75年5月から76年1月まで、新日本プロレスに留学生として参戦したイワン・ゴメスである。
ゴメスは74年12月、新日本がブラジルに遠征した際、アントニオ猪木にバーリ・トゥード形式での対戦を迫ったが、猪木は「その前にプロレスがどんなものかを知ってもらったほうがいいだろう」と若手レスラーの練習を見せた上で、対戦するのではなく、新日本でプロレス修行をすることを勧めた。プロレス流のテクニックに興味を持ったゴメスは、翌75年5月から留学生として来日。新日本の道場に住み込みながら、プロレスラーとしてファイトすることになったのだ。
ブラジルではバーリ・トゥードの英雄でも、日本では無名のブラジル人留学生ということで、試合は前座ばかりだったが、ここでゴメスはシングルマッチで91連勝無敗という記録を打ち立てる。若手とはいえ、新日本の道場で鍛え上げられた藤原喜明、荒川真、栗栖正伸、小沢正志(キラー・カーン)、木村たかし(木村健悟)、柴田勝久、大城大五郎、魁勝司、さらに外国人のブルドッグ・オットー(のちのオーストリアの帝王オットー・ワンツ)、英国の技巧派スティーブ・ライトにも勝利。タッグマッチでは負けもあるが、自身がフォールを取られたことはなく、無傷でプロレス修行を終えたのである。
記録を調べると、決め技はほとんど腕固めと足固め。腕固めとは腕ひしぎ十字固め、裏十字固めで足固めはヒールホールド。後年、UWFで脚光を浴びる関節技だが、当時の新日本にはヒールホールドという技術はなく、藤原がゴメスとの戦いを通して習得し、それが新日本に定着した。
カール・ゴッチ流とはまた違う、ゴメスのバーリ・トゥード流の技術が新日本の戦いの幅を広げるのに貢献したのは間違いない。
日本では無名のまま終わったゴメスの名前がプロレスファンに注目されたのは、76年8月の新日本のブラジル遠征。その開幕戦の8月7日、リオ・デ・ジャネイロのマラカナン体育館で行われた、ウィレム・ルスカとの壮絶な喧嘩試合は“マラカナンの決闘”として今も語り継がれている。
72年ミュンヘン五輪で史上初の2階級制覇を成し遂げた、ルスカの柔道王としてのネームバリューはブラジルでも絶大。またこの年の2月、ブラジルを第2の故郷とする猪木相手に異種格闘技戦をやったことも伝わっていて、ルスカと地元の英雄ゴメスの対戦は目玉カードとして組まれた。
柔道家は打撃に対応できないと読んだゴメスは、掌底攻撃でルスカの出端を挫くと、顔面に痛烈な膝蹴り!
これがルスカに火をつけた。柔道を引退し、猪木と戦うまではオランダの歓楽街の劇場でセキュリティ担当のフロア・マネージャーをしていたルスカは、ストリートファイトにも強く、ゴメスの顔面に右ストレートを放ったのである。
この一撃で右目上から大流血したゴメスは、パンチを繰り出してくるルスカを胴タックルで倒すと必殺チョーク・スリーパーへ。ルスカが必死にロープにエスケープし、2人の体がエプロンに出たが、構わず絞め続けるゴメス。するとレフェリーのミスター高橋は10カウントを数えてルスカのリングアウト勝ちを宣告した。高橋としてはもはや試合として成立しないと判断して収拾を図ったのだろうが、地元の英雄が攻めていながら負けと判定されたことに大観衆は暴動寸前に。猪木が慌ててリングに駆け上がってゴメスを労ねぎらうことで場を収めたが、ブラジル体育協会はルスカの試合停止処分を発表。物議を醸した喧嘩試合だった。
ゴメスは右目上を9針縫う大ケガを負ったものの、翌11日のブラジリア大会では、掌底のラッシュでストロング小林を戦意喪失に追い込んで勝利。最終戦の14日のサンパウロ大会は、掌打からフロント・ネックロックで木戸修に勝利した。
掌で相手の顔面、脇腹を打つ掌底攻撃から腕や足、首を極きめるという、当時のプロレスとは明らかに異なるゴメスの戦い方は、のちのパンクラスに通じるものだ。
文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。
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