社会
Posted on 2025年11月23日 18:02

奇跡の脱北起業家〈第7回〉なぜ彼女は「平壌冷麺」と海を渡ったのか(3)愛犬「ラッキー」と新たな希望

2025年11月23日 18:02

 もっと広い世界に生きなさい─。海女だった祖母の言葉に背中を押され脱北したヨンヒ。ソウルの陽川区木洞にあるマンションが広い世界へ踏み出す第一歩になる。

「私はハナ院の216期、150人いた同期は抽選で全国に振り分けられたんですが、ソウルになったのはたった5人。ルーツの済州島でもよかったけれど、希望どおりソウルになって。ついてるなって思った。ハナ院を出るときもらった100万ウォン分のチケットを握りしめ、近所のマートで冷蔵庫やテレビを買った。ボランティアの人が中古の炊飯器や電子レンジ、それにお米やインスタントラーメン、缶詰なんかを持ってきてくれた。相談にのってくれるベテランの警察官もいる。これからどう生きるか? すべては私しだい。北朝鮮と違い、自分で選べるんですから」

 いまにも大空へ羽ばたきそうなヨンヒだったが、夜、ひとりマンションに帰ると涙がとまらなかった。

「平壌にいるママに会いたい、ただそれだけでした。ママだけじゃない。弟、海州にいるおばあちゃんは元気にしているだろうか? 私がソウルにいることを知っているだろうか? 想像をめぐらせていたら寝られず、外出もしたくなくなって。ひきこもりです」

 病院で診てもらった。医者は好きなものをそばに置くよう勧めた。彼女は北朝鮮でずっとペットの犬を飼っていたことを思い出した。医者はうなずいた。

「永登浦にあるペットショップで、真っ白なワンちゃん、ポメラニアンを買ったんです」

 ヨンヒは万感を込め、ペットの名を「ラッキー」にした。抱きしめていると力がわいてくる。そう、まだやるべき大仕事が残っていたのだ。ビッグな夢、真のコリアンドリームを実現させるには、北朝鮮にいる3人を自らの手で脱出させなければ─。笑顔が戻ったヨンヒはまた静かな闘志をみなぎらせるのだった。

鈴木琢磨(すずき・たくま)ジャーナリスト。毎日新聞客員編集委員。テレビ・コメンテーター。1959年、滋賀県生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒。礒𥔎敦仁編著「北朝鮮を解剖する」(慶應義塾大学出版会)で金正恩小説を論じている。金正日の料理人だった藤本健二著「引き裂かれた約束」(講談社)の聞き手もつとめた。

写真/初沢亜利

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