社会
Posted on 2025年11月02日 18:02

奇跡の脱北起業家〈第5回〉なぜ彼女は「平壌冷麺」と海を渡ったのか(3)「済州島4.3事件」のドラマ

2025年11月02日 18:02

 たまにヨンヒが口ずさむ歌に「ツバキの花一輪」がある。2003年に朝鮮中央テレビで放送された連続ドラマ「漢拏のこだま」の挿入歌だ。何度も再放送され、DVDまで発売されたこのドラマ、いわゆる「済州島4.3事件」が題材になっている。1948年4月3日、米軍政下の済州島で南北分断に反対する島民が武装蜂起し、軍や警察に弾圧され、3万人近くもが犠牲になったとされる韓国現代史上の大悲劇である。ヨンヒは主人公が海女だったこともあり、その姿が祖母に重なり、夢中で見た。

 銃弾が飛び交い、捕えられた島民が残虐に殺されていく。目をおおいたくなるシーンが続くが、歌は牧歌的でやさしい。主人公が回想するところで流れる。

〽ツバキの花一輪 私もひとり お母さんの花一輪 お父さんもひとり 赤い花 葉っぱ かんでみた お母さんは お母さんは 花のように笑ってる‥‥

 少女のころ、青い済州の海で友だちとむじゃきに遊び、いつしかたくましい海女に成長し、岩場で仲間と笑顔で語らっている。ドラマに釘付けになったヨンヒの空想は広がる。

「たった一度、おばあちゃんと水泳したことがあるの。10分も潜ったままなんです。すごかったなあ」

 北朝鮮に生まれたヨンヒは済州島を知らない。半島の南に浮かぶ火山島、温暖だから甘いみかんが採れる。歌の通り、冬になれば、ツバキが咲く。

 決死の脱北が失敗に終わった祖母は海州で機会を待った。あきらめるわけなどなかった。

「脱北した人間ですから、監視がきつかったんです。たまに市場に行こうと玄関のドアを開けたとたん、隣に住んでいるおばさんが、ぬーっと顔を出し、『どちらへ?』と聞く。泥棒が多く、ドアは厚い鉄板でできているのでガチャンと大きな音がする。カギも3、4個つけてある。もともといた住民が監視役をさせられているんです。3人に1人はスパイじゃないかっていうくらい多くの目が光っている。でも、そこは海州の名物女主人、『私は市場に行くんだよ、どこが悪い!』って思いっきり言い返していたそうですよ」

鈴木琢磨(すずき・たくま)ジャーナリスト。毎日新聞客員編集委員。テレビ・コメンテーター。1959年、滋賀県生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒。礒𥔎敦仁編著「北朝鮮を解剖する」(慶應義塾大学出版会)で金正恩小説を論じている。金正日の料理人だった藤本健二著「引き裂かれた約束」(講談社)の聞き手もつとめた。

写真/初沢亜利

全文を読む
カテゴリー:
タグ:
関連記事
SPECIAL
  • アサ芸チョイス

  • アサ芸チョイス
    芸能
    2013年11月26日 10:00

    11月8日、歌手・島倉千代子(享年75)が肝臓ガンで死去した。島倉といえば、演歌の王道を歩むように、その生き様は苦労の連続だった。中でも、莫大な借金返済で味わった地獄は理不尽極まりなかったようで──。島倉は、男を信じて手形の保証人となったせ...

    記事全文を読む→
    芸能
    2026年05月02日 18:00

    三陸沖で再び地震が発生し、富士山噴火を危惧する特番が組まれ、高市政権は武器輸出を解禁─この不穏な流れは何かの兆しなのか?いち早く察知したのは「Mr.都市伝説」関暁夫氏だ。30年以上前に作られたカードが、驚愕の未来を暗示しているという。いった...

    記事全文を読む→
    スポーツ
    2026年05月03日 18:00

    世界の大谷翔平の背中を追う「後継者」が、同じ米国で静かに存在感を強めようとしている。日本を経由せずに米大学で名を馳せて、即メジャー入団を夢見る怪物のことだ。ところが今、その進路を巡って“別シナリオ”が確定的と言われているのだ。は...

    記事全文を読む→
    注目キーワード
    最新号 / アサヒ芸能関連リンク
    アサヒ芸能カバー画像
    週刊アサヒ芸能
    2026/4/28発売
    ■680円(税込)
    アーカイブ
    アサ芸プラス twitterへリンク