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Posted on 2025年12月21日 18:00

「プロレスVS格闘技」大戦争〈馬場がパキスタンの超巨人空手家と格闘技戦〉

2025年12月21日 18:00

 1980年代後半から90年代初頭にかけて、日本プロレス界はUWFブームに沸いた。見せる要素を排除して打撃と関節技で決着をつけるスタイルは、従来のプロレスに物足りなさを感じていたファンから「これぞ真剣勝負!」と絶賛され、新日本プロレスも旧ソビエト連邦の格闘家たちを導入するなど、格闘技的な方向に走った。

 しかし、純プロレス路線を貫いたのがジャイアント馬場率いる全日本プロレスである。UWFブーム真っ只中の89年の馬場の年賀状には「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます」と記されていた。

 そんな馬場が一度だけ異種格闘技戦に臨んだのが87年6月9日、日本武道館におけるパキスタンの空手家ラジャ・ライオンことリアズ・アーメードとの一戦だ。

 連載第5回でお伝えしているように、実は馬場はアメリカ武者修行中の63年3月にニューメキシコ州アルバカーキで、プロボクシング元世界ライトヘビー級王者アーチー・ムーアと試合をしているが、これはその1週間前にムース・ショーラックと対戦した時に特別レフェリーだったムーアを巻き込んで遺恨が生まれての試合。現地のプロレスのストーリーの一環であり、異種格闘技戦という趣ではなく、体のサイズが違いすぎて馬場の楽勝だったという。

 さて、馬場がラジャとの異種格闘技戦に至った発端は87年3月に「ミスター馬場、私はパキスタンの空手チャンピオンであり、私こそアジアでいちばん強く、いちばん大きいと信じている。私の名前はリアズ・アーメード(ラジャ・ライオン)。21歳で身長は226センチだ。私は貴方がたいへん背が高く、強いと聞いている。私はアジアで誰がいちばん強く、いちばん大きいか知りたい。私に挑戦の機会を与えてほしい」という挑戦状が送られてきたことだが‥‥もちろん、これはあくまでもプロレス的な表向きのストーリー。

 実際は馬場の知り合いの実業家が「パキスタンに馬場よりも大きな空手家がいるから、試合をしてみたらどうか?」と売り込んできたが、異種格闘技戦には否定的な馬場は態度を保留していたのである。

 ところが、この年の4月に85年1月から全日本に上がっていた長州力らのジャパン・プロレスの選手が大量離脱して全日本は存亡の危機に立たされてしまった。そこで話題作りとして、苦渋の決断で受けて立ったというのが真相だ。

 パキスタンのゼン・リー・マーシャルアーツ・アカデミーに所属するラジャは、師匠のプリンス・ゼンノアベデンを伴って4月25日に来日。同月28日、全日本の道場で公開練習を行い、リーチ98センチ、コンパス110センチの長い手足を駆使した打撃をゼンノアベデン、ヘッドギアを着用した若手の川田利明相手に披露。さらに5月1日の後楽園ホール大会では、ゼンノアベデンと3分間のエキシビションを行った。

 いざ、決戦。3分10ラウンド制で行われた6.9日本武道館の馬場VSパキスタンの空手超巨人は、結論から先に書いてしまえば、世紀の大凡戦になってしまった。

 第1ラウンド開始早々、ハイキックを放ったラジャが転倒したのである。馬場の135キロの重みでバランスを崩したのだろう。客席からは失笑が漏れた。

 馬場が危ない場面は左ハイキックを顎に1回、側頭部に2回食らっただけ。第2ラウンドに入ると一気に勝負に出て、腕を取ってバックに回り、グラウンドに引き込むと、長い脚で両腕を極める裏十字固め。ラジャは成す術なくギブアップした。

 馬場の格闘家としての実力がわからないままの異種格闘技戦だったが、全日本一筋、キャリア52年を迎える渕正信はこう証言する。

「馬場さんのスパーリングでの一番の技は胴絞めだったらしいよ。“俺は金ちゃん(大木金太郎)だって、猪木だって、あれで取っていたよ”って言ってたからね。鶴田さんが馬場さんの胴絞めでギブアップしたのを観たことがあるしね」

 筆者も86年11月、ノースカロライナ遠征でデビューしたばかりの元横綱・輪島大士に「相手が言うことを聞かない時には、こうすればいい」と様々な裏技を教えているのを目にした。

 馬場は72年8月に日本プロレスを退団する際、シリーズ最終戦まで出場した。普通は、試合中に団体の指示を受けた選手からガチンコを仕掛けられるのでは、と疑心暗鬼になってもおかしくないが「何かを仕掛けられたとしても、負けることはないという自信があったよ」と後年に語っている。

 振り返ると、馬場の師匠は「プロレスはケンカだ」が信条の力道山、馬場が新人時代に来日したカール・ゴッチの親友でレスリングのNCAAオールアメリカンに選出されたこともある実力者ドクターⅩことビル・ミラー、そしてシューターとして名を馳せたフレッド・アトキンスの3人。

 人種差別が激しかった60年代のアメリカでトップを取ることができたのは、それに裏打ちされた実力があったからだろう。

 そうした環境でエンターテインメントとしてのプロレスを習得したからこそ、馬場には「プロレスはプロレス」という揺るぎない信念があった。

文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。

写真・山内猛

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