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記事全文を読む→【実話ドキュメント】球史まで変えてしまった…広島カープ史を彩る「とんでもないホームラン」が作った物語
昨シーズンのペナントレース終了時点、広島カープの公式戦での本塁打が8963本に達した。つまり今季、あと37本塁を重ねれば、メモリアルな9000本になる。これをいつ誰が達成するのか。マニアックなカープファンの関心事となっている。
カープ球団創設の翌1950年3月16日。第1号を放ったのは、のちに2代目の監督に就任する白石勝巳だった。以降、山本浩二(536本)、衣笠祥雄(504本)、前田智徳(295本)、江藤智(248本)、金本知憲(244本)…。錚々たるメンバーによって、その数字が積み上げられていった。中でもそのひと振りがカープ史だけでなく、球史まで変えてしまった……そんな本塁打がある。
公式戦ではなかったが、1975年7月19日のオールスター戦(甲子園)。全セは「3番・山本浩二、4番・王貞治、5番・田淵幸一」のクリーンアップを組んだ。そして6番に衣笠祥雄を据える。
その初回。無死三塁のチャンスで3番・山本が、左翼ポール際へ大きな本塁打を放つ。そのあと6番・衣笠が豪快な一発を左翼席へ。さらに2回には山本が3ラン、3回に衣笠がソロを叩き込んだ。
オールスター戦での2打席連続本塁打は1955年に西沢道夫(中日)が放ってから、実に20年ぶりのことだった。この時、カープの2人の若武者が、プロ野球を国民的スポーツとしていた日本社会に、少なからぬインパクトを与えた。そして以降のペナントレースの流れを作り、カープが初優勝。これが「カープ第一期黄金時代」へと繋がっていく。この一連の流れが「地方の時代の幕開けになった」と論じる社会学者もいる。
刻が流れた2016年6月17日、18日のオリックスとの交流戦。その初戦だった。4-4で迎えた延長12回裏。鈴木誠也がランナー1人を置いて、比嘉幹貴の外角の速球を豪快に振り抜き、その打球を左翼席上段に運んだ。これが6-4で試合を決める、サヨナラ2ランホームランになった。
監督の口から思わず飛び出した「奇妙な言葉」
翌18日、オリックスは9回表まで1-3でカープをリード。そして9回裏、抑えの切り札・平野佳寿をマウンドに送った。
カープは一死一・三塁のチャンスを迎える。平野のクイックは速い。この打席で鈴木が選択したのは当時、パ・リーグの首位打者だった角中勝也(ロッテ)のノーステップ打法だった。
平野が決め球として投げたのは、真ん中から低めに大きく落ちるフォークボール。鈴木の技ありのひと振りが、前夜に続く逆転サヨナラ3ランとなった。場内は、このシーズン一番の興奮状態に達した。
この直後にインタビューを受けた緒方孝市監督の口から思わず、奇妙な言葉が飛び出した。
「鈴木は神ってる」
こうしてこの年の新語・流行語大賞が生まれ、カープのリーグ3連覇への流れが始まった。
ホームランには試合や球史の流れを変えるだけではなく、社会の空気や時代の方向まで変えてしまう力があるのだ。

※さらなるエピソードは「カープ不滅のスラッガー伝説」(迫勝則・著=南々社)に詳述。
(迫勝則/作家)
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