今季リーグぶっちぎりの最下位にあって、西武ライオンズのキャプテンとして気を吐いた源田壮亮。「プレミア12」でも存在感を示し、侍ジャパンの顔として活躍したが、まさかオフにこんんな大きな落とし穴が待ち構えていたとは…。普段から「愛妻家」として知...
記事全文を読む→衣笠祥雄
元祖鉄人・衣笠祥雄氏といえば、連続試合出場の日本記録が思い浮かぶが、被死球数もかなりのものだ。その数「161」は、清原和博氏の196、竹之内雅史氏の166に続く3位の記録である。野球解説者・田尾安志氏のYouTubeチャンネル〈田尾安志【T...
記事全文を読む→広島東洋カープに初のリーグ優勝と日本一をもたらしたのは、古葉竹識監督だ。1975年、日本球界初となるMLB出身監督として広島の監督に就任したジョー・ルーツ氏が、わずか15試合で帰国。代わって指揮を執った古葉監督が快進撃を見せて初のリーグ優勝...
記事全文を読む→「江夏の21球」とは、1979年の日本シリーズで、広島カープと近鉄バファローズの互いに譲らぬ第7戦目における、広島・江夏豊氏の9回に投じた球数「21」を差し、これにより広島は日本一に輝き、後に作家の故・山際淳司氏が「江夏の21球」という短編...
記事全文を読む→4月23日は、広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手・衣笠祥雄氏の3回忌だった。通算安打2543本は福本豊氏と並んで歴代5位で、通算本塁打504本は張本勲氏と同数の歴代7位といった華々しい記録もさることながら、衣笠氏が他の選手と一線を画すの...
記事全文を読む→日本プロ野球界において、もっとも死球を受けているのは、清原和博氏の「196」(プロ通算22年)である。大打者である以上、執拗に内角攻めを受けるのは致し方ないことだろうが、清原氏入団当時に西武ライオンズで打撃コーチを務めていた土井正博氏いわく...
記事全文を読む→現在、春夏甲子園の高校別の通算勝ち星で133勝を挙げて独走しているのが中京大中京(愛知)だ。その中京大中京に次ぐ2位の勝ち星をマークしているのが、龍谷大平安(京都)である。今大会7日目の第1試合で鳥取城北との対戦が決まっているが、この試合に...
記事全文を読む→「鉄人」の異名で知られた元広島東洋カープの衣笠祥雄氏が大腸ガンにより71歳で亡くなったのは4月23日。広島ファンのみならず多くの野球ファンから愛された衣笠氏の訃報に、芸能界からも追悼コメントが相次いだ。広島出身のアンガールズ・山根良顕は「優...
記事全文を読む→“鉄人”衣笠祥雄氏が永眠した。71歳だった。1987年6月13日、連続試合出場の世界記録を更新し、それは引退まで継続された。その2215試合連続出場の記録は歴代日本1位、世界でも2位の大偉業だ。氏が75年の広島初優勝に大きく貢献したのは説明...
記事全文を読む→テリー僕は巨人ファンなので、今シーズンの巨人についても話をお聞きしたいんですけど。正直なところ、圧倒的な差がつきながらも2位にいるってことは、それなりに頑張ったんじゃないかなと思うんですよ。衣笠それは今まで積み重ねてきた老舗の力、プロとして...
記事全文を読む→テリー緒方監督の采配は、見ていてどうでしたか?衣笠実に落ち着いていますね。今年は九州人らしく、決めたことを貫こうと腹をくくったんじゃないですか?それがうまくいきましたね。メンバーが固定できましたし、自分の期待していた選手も出てきてくれたんじ...
記事全文を読む→テリー個々の選手についてはいかがですか?何といっても、2年前に黒田(博樹)選手が戻ってきてから風向きは変わった気がするんですよね。まず、なぜメジャーを蹴ってまでして、黒田選手は広島に帰ってきたと思いますか。衣笠僕も黒田がユニホームを脱いだら...
記事全文を読む→●ゲスト:衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)1947年、京都府生まれ。平安高校卒業後の1965年、広島カープ入団。1968年から一塁手として一軍レギュラーに定着。背番号28から「鉄人」の愛称で親しまれる。1980年8月2日、1247試合連続出場の...
記事全文を読む→「この仕事になった以上は、しゃべれることとしゃべれないことがある。こういうナマの声を聞くのは恐らく今日が最後」。中日ドラゴンズGMという立場上、以前のように自由に球団ネタを話すわけにはいかなくなった、とおっしゃるのは「ミスター・オレ流」だ。...
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