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記事全文を読む→〈証言①・岩本勉〉初年度に投手初のホームランを打って疲労困憊「2発浴びて半沢直樹より前に『倍返し』された」/俺たちのプロ野球セ・パ交流戦
日本ハムのエースとして君臨した“ガンちゃん”こと岩本勉(55)は、交流戦が始まった2005年に「投手初アーチ」という記録を残してから同年限りで引退している。慣れない打席に立った、交流戦ならではの舞台裏を明かす。
まいどー!!
愉快、厄介、時に爽快、岩本でございます。今回は交流戦の思い出を振り返りまっせ。
プロ初アーチを放ったのは巨人戦。あの日は中継ぎで登板して、直後の回に打席が回ってきた。「代打やろな〜」と思っていたら、ヒルマン監督が「ガン、ヒッティンだ!」と。ビハインドの展開で「イニングを稼がないと」と頭の中では思っていたけれど、正直「マジかよ」と思って、慌ててバットを持って、手袋をはめて打席に向かった。
相手のホームだけど、こちらも(2年前まで)長年の本拠地だった東京ドームだったから慣れているはずなのに、とにかく打席が明るいことを初めて知ったよね。
野間口貴彦が投じた球を1、2、3で振り切った。感触はレフトオーバーしたかなと思ったけれど、まさかスタンドまで届くとはね。
悠然とダイヤモンドを1周したまではよかったんやけど、慣れないことするからめちゃくちゃ疲れてバテたよ。次の回もマウンドに上がったけれど、直球は130キロ台しか出ない。案の上、小久保、ローズに被弾して負け投手に‥‥。
思えば人気ドラマ「半沢直樹」(TBS系)が流行るずっと前に“倍返し”の痛みを覚えた、象徴的なシーンとして講演会で話したら、いまだに大ウケ(笑)。読者の皆さん、ここ笑っとくとこですよ!
さらに運がなかったのは、某地上波民放局で全国中継されていたのに、私がアーチを放った瞬間はまだCM中。明けた瞬間「東京ドームで大変なことが起きました!」と、実況アナウンサーが興奮気味にVTRで紹介してくれたそうな。
でも、CS放送でその瞬間を見ていた両親は泣いていたと後から聞かされて、よかったわ。ボールはスタンドでキャッチした少年が後に届けてくれて、サイン入りユニホームと交換。当時使ったボール、グローブ、バットは、大阪のスポーツバーに寄贈して飾ってもらってるんよ。
それから4日後に、広島戦でも再び打席に立つチャンスがあったんよ。この時もレフト前ヒットで出塁して、相手投手のパスボールで二塁に進塁したの。続く打者の打球でそのまま本塁まで駆け抜けたけれど、その時も疲れたわ。でもね、同時に野手への尊敬の念が芽生えたんよね。そやから、ホームランを打った時よりも個人的には印象深いシーンやわ。
味方打線の援護もあって逆転したことで、その日は勝利投手にもなれた。それまでオープン戦でもマウンドに上がったことがない、広島市民球場は何とも言えない味わい深さがあってね。すでにマツダスタジアムへの移転の話もあったし、すごくうれしかった。
気づいたらアナウンサーにマイクを向けられて「投打のヒーロー」と紹介してもらえたのもうれしかったなあ。毎回、必死に打席でも戦うセ・リーグの投手のすごさにも感服しましたわ。
打席に立つのは、パ・リーグの球団に入った時点であきらめていたから、真剣勝負の場で打席に立てたのは不思議な感覚だった。
翌年からはネット裏で解説をする立場になったけれど、松坂大輔くんが打席で駆け引きしながら甲子園でアーチをかけたり、ファイターズの後輩・ダルビッシュ有が真剣に打席に立ってくれたりした一方で、打つ気が感じられない投手には「事を起こせるのに‥‥」と歯がゆさを感じるようになった。
振り返れば球界再編の足音が聞こえる前に、私が選手会長をやっていた頃から労使交渉で交流戦を実現させるために関係者が尽力していたんよ。でもね、当時は「1試合1億円」と言われた、巨額の巨人戦の放映権料を手にするセの球団がかなり嫌がっていた。
今だから話せるけれど、事務折衝は修羅場やった。とあるセ球団幹部はパ球団の方に「パはセの力を借りるなら、自分たちで(他の施策を)やればいいのに」と言い放ち、その場で取っ組み合いの大ゲンカに発展。互いのメリット、デメリットを巡りめちゃくちゃ混沌としていたわ。
最初に素案が出てから5年、10年じゃなかったと思う。その後、04年にパが先にプレーオフ(現CS)導入に踏み切った。ファンは盛り上がったよね。
そして無事に交流戦が始まったわけだけど、最初はホーム&ビジター各3試合ずつで、オールスターや日本シリーズの特別感が薄くなり、間延びした感も否めなかった。今(6カード18試合制)がちょうどいいのかなと。紆余曲折を経てプロ野球が盛り上がる大きなきっかけとなった、交流戦が今でも続いているのはビフォーアフターを知るいち球界OBとしてはうれしく、誇らしいよね。
岩本勉(いわもと・つとむ)1971年5月11日生まれ、大阪府出身。90年ドラフト2位で日本ハム入団。98年から2年連続2ケタ勝利を挙げて“ハムのエース”として活躍。05年限りで引退後は野球解説者に転身している。
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