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記事全文を読む→ジャニーズ一期生・永田英二が明かす大スター10人の素顔「フォーリーブス時代の思い出」
伝説のグループ「フォーリーブス」の初期メンバーであり、69年にジャニーズ事務所で初のソロデビューを飾った永田英二。1人の歌手として、音楽プロデューサーとして、そして友として─親交を深めてきた大スターたちの(秘)素顔と、約半世紀に及ぶ波乱万丈の音楽人生を初激白した。
「ジャニーさんは温厚そうに見えて、怒るとすごく怖い。ちょっとでも不真面目な態度を見せると『コラァ~!!』ですからね」
懐かしそうに振り返るのは、ジャニーズ事務所のソロ歌手第1号であり、現在は音楽プロデューサーの永田英二(60)。彼の半世紀以上にわたる音楽活動の原点が、今でも「ジャニーさん」と慕うジャニー喜多川氏(83)だ。その出会いは1963年、劇団に所属していた当時8歳の永田が、ミュージカル「王様と私」に出演していた時のことだ。
「父親が振付師の仕事をしていた関係で、ジャニーさんが控え室に挨拶に来てくれたんです。今じゃそれが代名詞みたいになったけど、そんなに『ユー!』とか言いませんよ(笑)」
橋幸夫に憧れていた永田は、喜多川氏にこう声をかけられた。
「歌に興味があるなら遊びに来ないか?」
誘われるまま事務所に出入りするうちに、いつの間にか所属歌手になっていたという。
「まだ事務所と呼べるようなものではありませんでした。ナベプロという大きな事務所の中のジャニーズ企画のようなものでね。ジャニーさんも個人プロデューサーという感じでしたね」
永田は、のちにリーダーになる故・北公次らとともに「フォーリーブス」の初期メンバーに選抜された。
「いちばん年長だったコーちゃん(北公次)は、伊勢湾台風で家が流されちゃって、成功することに必死でした。レッスンが終わってからも、『自主練習しよう』と。でも自分は最年少メンバーで、体力的にキツい。嫌でしょうがなかった(笑)」
地道にライブを重ね、フォーリーブスは人気グループに成長。だが、テレビのレギュラー番組が決まったことで、本人はグループからの脱退を余儀なくされる。
「小学生だったので、夜の生放送番組に出演できなくなったんです。当時は児童福祉法が厳しくてね」
ソロに転向して発表した最初のシングル「あこがれ」(69年)が30万枚を超えるヒット。私生活では、ビッグスターとの交友関係を広げていく。
「毎晩のように赤坂のディスコに出かけていました。内田裕也さん(75)と何度も顔を合わせるうちに、『ボーヤ、これ歌いな』と曲までもらったりしてね」
親交を深めた盟友の一人が俳優の故・安岡力也だ。
「力也はすごかった。何軒もハシゴしては、ボトル4本は軽く空けていましたね。喧嘩も強くて半グレみたいな連中が『本当に強いのか?』と難癖をつけてくるんだけど、返り討ちにしていました。でも、キックボクシングを始めてからは、『プロが素人に手を上げちゃいけない』と穏便に済ませていましたよ」
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