テリーこれまでで一番印象に残ってる試合っていうと、どれになるんですか。神取一番は難しいですけど、やっぱりブル中野とのチェーンデスマッチとか、天龍(源一郎)さんとの試合とか。あと、北斗(晶)との試合も挙げられますけど。そのぐらいかな。テリーそ...
記事全文を読む→橋本真也
正月早々、プロレス界を揺るがす前代未聞の事件が勃発したのは、1999年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会だった。詰めかけた6万人の大観衆が見つめる中、新日のエースで「破壊王」として知られる橋本信也に挑戦状を叩きつけたのが、アントニオ猪木...
記事全文を読む→約10年もの長きにわたる、新日本プロレス暗黒期のスタートとなった1999年1月4日の東京ドーム。まず新日本の地盤を揺るがしたのは、第5試合に登場した〝邪道〟大仁田厚だ。大仁田は前年11月、新日本と全日本プロレスの2大メジャーに宣戦布告。大仁...
記事全文を読む→プロレスの世界において、対戦相手のとエキサイティングな口ゲンカは、試合を盛り上げるために欠かせないものだ。そのため「猪木問答」はじめ、伝説的なバトルは少なくないが、ファンの多くが「これは間違いなく殿堂入り」と認めているのが、長州力と橋本真也...
記事全文を読む→全日本プロレスが他団体との開国路線に舵を切った1997年、新日本プロレスは新段階に突入する。6万2500人の大観衆を集めた1.4東京ドームでは、VSインディー団体ということで大日本プロレスとの対抗戦を敢行。後藤達俊がケンドー・ナガサキに敗れ...
記事全文を読む→バルセロナ五輪(1992年)で銀メダルを獲得した元柔道家で、のちに総合格闘技、プロレスの道に転身した小川直也が自身のYouTubeチャンネル〈小川直也のハッスルチャンネル〉で、「暴走王」の異名を取った「1.4事変」を振り返った。1999年1...
記事全文を読む→1990年春のメガネスーパーによる新団体SWS設立の際、最初に選手引き抜きのターゲットにされたのは新日本プロレスだが、抜かれたのはジョージ高野と佐野直喜の2人だけ。選手とレフェリー、フロント関係者を含めて14人もの離脱者を出した、全日本プロ...
記事全文を読む→NOSAWA武藤さんと初めて海外に行ったのは06年5月のメキシコですね。ウルティモ・ドラゴン校長の興行「ドラゴマニア」で。ピラミッドに一緒に行きましたよね。武藤ナウカルパンにあるウルティモの道場に学にも行ったよな。そのにオカダ・カズチカがい...
記事全文を読む→プライベートで小池はプロレスラーの橋本真也(05年、40歳で逝去)の紹介で坂田と知り合い、小池からの1カ月間の猛アタックの末、2人はつきあうことになったという。約5年間の交際を経て、07年に結婚。現在は坂田が小池のマネージメントを手がけるな...
記事全文を読む→美女アナが書いた「プロレス本」がバカ売れしている。著者は20年以上にわたってプロレス専門チャンネルに携わる人気キャスター。リング外でも数々の大物レスラーと交遊を続けてきた彼女が、著作では書ききれなかった「オフレコ秘話」を初激白。“レジェンド...
記事全文を読む→そして、16年前の一戦とは、99年1月4日・新日本プロレスの東京ドームで組まれた小川直也vs橋本真也のことである。小川はアントニオ猪木が率いた新団体「UFO」のエースとして新日本に乗り込む。試合前から漂っていた不穏な気配は、開始ゴングととも...
記事全文を読む→現在、2度目の左腕骨折で欠場中のプロレスリング・ゼロワンの橋本大地(21)の父親は、言わずと知れた橋本真也だ。11年3月、亡き父の盟友・蝶野正洋戦でデビューした「破壊王子」は、あれから着々と経験を重ね、プロレス界再熱の鍵とされている。──腕...
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