「巨人 VS 国鉄」プロ野球開幕戦・1958年4月5日「ミスタージャイアンツ」とも「ミスタープロ野球」とも呼ばれた長嶋茂雄さん(巨人終身名誉監督)が、さる6月3日、肺炎のため亡くなった。89歳だった。そこで今回は偉大なミスターへの追悼の思い...
記事全文を読む→金田正一
大谷翔平が大リーグの記録を次々と塗り替えた、2024年から時計の針を巻き戻すこと55年。日本球界に前人未踏の大記録が生まれた。金田正一の400勝達成だ。1969年10月10日、巨人対中日24回戦(後楽園球場)中 0 0 1 0 0 1 0 ...
記事全文を読む→プロ野球史上唯一となる400勝投手の金田正一氏と、2リーグ制初の三冠王にして名将の野村克也氏。長嶋茂雄氏、王貞治氏とともにプロ野球創成期を支えた両名には、一般人にはなかなか理解できない、旧交をあたためる手段があった。テレビプロデューサー、演...
記事全文を読む→「巨人V9」の元年は1965年だ。以来9シーズンの偉業達成には、現役時代に「打撃の神様」と謳われた川上哲治監督、ミスターこと長嶋茂雄、本塁打王を獲ること15度の王貞治の功績が大きいのは言をまたない。だが、この定説に異を唱える人物がいた。その...
記事全文を読む→記録ずくめの完全試合に魅了されたか、あのミスターも令和の怪物にゾッコンだ。現役のエースたちを差し置いて「ナンバーワン」と絶賛するのは、過去に惚れ込んだレジェンドらの面影が見え隠れしていた──。いわゆる“推し”との初対面が実現したのは、6月3...
記事全文を読む→日本プロ野球記録となる「400勝投手」金田正一氏が、ロッテ・オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の監督に就任したのは、1972年シーズンオフのこと。73年は3位で2年振りのAクラスに戻し、翌74年は4年振りのリーグ優勝。日本シリーズでは...
記事全文を読む→3月25日、日本プロ野球の開幕戦がスタートし、東京ドームで開催された〈巨人‐中日戦〉は、巨人の先発・菅野智之が6回を2点に抑え、昨年のドラフト1位で巨人入りしたルーキーの大勢(たいせい)が9回をリリーフ。2アウト満塁のピンチを招くも、最後の...
記事全文を読む→主に中日ドラゴンズで活躍した元プロ野球選手・川上憲伸氏のYouTubeチャンネル〈川上憲伸カットボールチャンネル〉に、ダイエー、日本ハム、阪神タイガースのセ・パ3球団を渡り歩いた元プロ野球選手の左腕・下柳剛氏が出演したのは、去る11月5日付...
記事全文を読む→近鉄で活躍した元プロ野球選手・鈴木啓示氏といえば、最多勝利3回、最優秀防御率1回、最多奪三振8回など数多くのタイトルに輝き、プロ通算317勝は日本プロ野球歴代4位の偉業である。その鈴木氏が、日本プロ野球名球会が運営する公式のYouTubeチ...
記事全文を読む→“昭和の怪物”と称された元プロ野球選手の江川卓氏。1978年、ドラフト1位で巨人に入団。単にスピードのみならず、その球威、球のキレは誰もが認めるところで、球界一の呼び声も高い投手だった。1980年と81年には最多勝利のタイトルに輝いており、...
記事全文を読む→水秘書志望の人の奥さんと脅迫トラブル。あれ読んだら、メチャクチャひどい話だもんね。新しい会社の秘書に志望するって履歴書送ってきた人を部屋に連れ込んで。しかもナマでやってるの。吉剛力彩芽とつきあいながら、40代の人の奥さんに手を出していたわけ...
記事全文を読む→ショーケンにしろ、内田裕也にしろ、女にモテたが、男にも絶大な人気があった。当時から語られていたことだが、ショーケンや内田の魅力は、ひと言で言えば、「不良性感度」の高さだった。かつては、ワルで不良な男に女たちは魅力を感じていたのだ。不良が高じ...
記事全文を読む→先頃亡くなった、400勝投手の金田正一氏。残した偉業を褒めたたえる向きとは逆に、その時代背景を率直に指摘する記者もいる。「プロ野球の歴史の中で、最も変わったのは、投手の起用方法と言われます。先発完投型が普通とされた昔に比べ、今は先発、セット...
記事全文を読む→通算400勝という大記録を持つ元プロ野球投手の金田正一さんが10月6日、86歳で亡くなった。金田さんの訃報に多くの関係者が哀悼のコメントを送る中、生前の金田さんが松坂大輔投手に送っていたコメントにも注目が集まっている。10月8日付の「NEW...
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