ホンダの2025年4月から12月期決算は、純利益が前年同期比42%減の4654億円、四輪事業の営業損益は1664億円の赤字で、14年ぶりの赤字転落となった。それでも連結でなんとか黒字を保っているのは、過去最高益を叩き出した二輪事業が支えてい...
記事全文を読む→日本レコード大賞 炎の四番勝負!<最終回>「1989年~美空ひばり VS Wink~」(2)
Winkと美空ひばりが激突する前年、昭和最後の開催となった88年の大みそかに、筆者は会場の日本武道館にいた。島倉千代子が歌う「人生いろいろ」に女の子たちが合いの手を入れるなど、ライブ感に満ちた展開となった。
この年の大賞は光GENJIの「パラダイス銀河」だったが、ステージはローラースケート場のように高低ができている。舞台の美術デザインを務めた三原康博は言う。
「彼らがローラースケートをやるのなら、それに合わせて階段を上げ下げしてあげるよ」
会場が帝国劇場から武道館に移ったのは85年である。長らく「ザ・ベストテン」のセットを作ってきた三原は、広大な会場に「わが意を得たり」と思った。たとえばC-C-Bの登場シーンは、武道館の四方から箱に乗ったメンバーが別々に演奏しながらスライドし、中央で合体するという演出で驚かせた。
「観ている人を退屈させないように、照明だけじゃなくセットでもスペクタクルを味わってもらいたかった。だから武道館は、僕には乗れる会場だったね」
89年は一方が故人の決戦であったが、三原は、もし「当事者不在の大賞」であっても舞台を作る秘策があったと言う。
「僕らが作っていた『ザ・ベストテン』は、日本中、どこまでも追っかけるのがウリだった。だったら、天国まで追いかけるような美術にするまでだよ」
それが昭和という時代を象徴したひばりへの追悼であるし、和製マイウェイと呼べる「川の流れのように」という楽曲に対しての敬意であった。
では対抗するWinkは、見えざる相手にどんな策を打ったのか。ディレクターの水橋は、決して賞レースに積極的だったわけではないと内情を明かす。
「どちらかといえば局のほうから『エントリーしませんか?』という感じでした」
ブレイクした「愛が止まらない」もそうだが、デビュー曲の「Sugar Baby Love」から洋楽のカバーがほとんどだった。そして89年7月5日に発売された「淋しい熱帯魚」は、作詞・及川眠子、作曲・尾関昌也と、純然たるオリジナルである。
「季節柄、夏の歌であることはもちろんだけど、かといってWinkに『ビーチパラソルの下』みたいな歌は似合わない。ブラインドから雨空をのぞくような世界観にしてほしいとコンセプトを伝えたんです」
歌詞には「プールサイド」や「花柄の水着」という言葉はあっても、それが直接的な表現ではない。熱帯夜に幻想がたゆたうような傑作に仕上がっている。
さて、ひばりの「川の流れのように」は、本来はシングル化されるはずではなかった。同じ秋元康作詞による若者向けの曲である「ハ ハ ハ」で決まっていたものを、ひばりの強い希望で変更。これが生前のラストシングルとなり、国民が納得する“遺作”となったのは、稀代の歌姫らしい選択であった──。
アサ芸チョイス
11月8日、歌手・島倉千代子(享年75)が肝臓ガンで死去した。島倉といえば、演歌の王道を歩むように、その生き様は苦労の連続だった。中でも、莫大な借金返済で味わった地獄は理不尽極まりなかったようで──。島倉は、男を信じて手形の保証人となったせ...
記事全文を読む→ダウンタウン・浜田雅功にとって、テレビ朝日で冠番組を持つのは「浜ちゃんのこれが聖地や!」(2000年7月)以来、26年ぶりのことになる。トップアスリートの人間ドラマに迫る新番組「浜田雅功とアスリート幸福論」(5月17日スタート)がそれだ。テ...
記事全文を読む→開幕前の下馬評が高かった日本ハムが苦戦している。5月17日の西武戦(エスコンフィールド北海道)ではリリーフ陣が打ち込まれて、痛恨の逆転負け。借金は2となり、ソフトバンクと入れ替わってリーグ4位に落ちた。「ミスが多すぎて、話す気にならない。今...
記事全文を読む→

