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記事全文を読む→有名人「下半身騒動」の始末書!(3)<特別寄稿作家・田崎健太>破天荒芸人・月亭可朝の遺言
本来、芸人とは一般の人間とは違う魔界の住人であった。観客は、彼らの破天荒ぶりや狂気を含めて愛し、その話術に夢中になったものだ。その意味で、月亭可朝は本物の芸人だった。気鋭のノンフィクション作家・田崎健太氏が、可朝に密着した最期の日々を描く。
可朝の人生は“賭博”と“女”と“洒落”にまみれている。まずは競艇から。
「あれはな、麻薬と一緒や。予想していると安心すんねん。住之江(の競艇場)で二千万当たったこともあったわな。その時は、甥とか姪を呼んで、車買うてやったんや」
最も多くの金をつぎ込んだのは野球賭博だったという。そして勝ち負けの金額が溜まると“換金”を行った。
「ホテルの前で、(隣の車の)窓と窓を合わせて(自分の車を)停めるねん。それでシューと(窓ガラスを)開けるわけや。それで賭けの(結果が書かれた)紙をお互いで確認する。“ということは一千万負けやな”とか。こっちが負けた場合は、向こうの車の窓に金を入れる。こっちが勝った時は、向こうの紙の袋からこっちにどんと入れてもらう。二千万ぐらい、勝つのも負けるのもあっという間やで」
そして“打つ”に加えて“買う”ことにも精力的だった。
「若い頃の話やけど、飛田新地に気っぷのええ女郎がおったんや。年はわしよりも2つ、3つ上。綺麗な子やった。何とかしたいと思ったんで、車に布団を乗せて、その子を逃がして豊中のアパートに住まわしたんや。そやけど、アパートを借りたら金がなくなって、生活費も何もあらへん。生活できひんわな。そのうち、その子はまたどっかに働きに行って、関係は消滅したんや」
可朝を世に出したのも女性だった。
〈♪ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ~〉
と始まる「嘆きのボイン」(69年)は一躍、30万枚のヒット曲に。
「女を買いに行くときは、可朝ってバレんように隠して行きましたで。でも向こうが気をつこうてくれたんやろな。だいたいボイン(の女の子)をあてがってくれたなぁ」
また彼はその人気を“洒落”で捨て去る潔さがあった。
71年、参議院選挙に立候補。突然の出馬により、ほとんどのレギュラー番組から降板することになる。
では彼は立候補して世に問うべきものがあったのか──彼の公約は「一夫多妻制の実現」と「銭湯の男女の仕切を外すこと」だった。もちろん、あえなく落選。
そんな可朝の“健在ぶり”を示したのが、08年5月のことだった。50代の元交際相手にストーカー行為をしたとして逮捕されたのだ。
釈放後、可朝は謝罪記者会見を行っている。報道陣から今の気持ちを歌で表現してほしいと求められて、「嘆きのボイン」の節でこう歌った。
〈♪可朝は7年間不倫してきて、その結果、警察に御用やで。7年間も嫁はんを裏切ってきたお仕置きや~、おまへんか〉
往年のキレはなく、会見場には白けた空気が流れた。
最後に会ったとき、彼にこう尋ねた。
「もうすぐ80歳になりますが、やり残したことはありますか?」
すると可朝はにやりと笑ってこちらを見た。
「世の中にええ女がぎょうさんおるのに、それを残してあの世に行くわけやろ。まずはそれやな」
月亭可朝こと鈴木傑が急性肺線維症で亡くなったのは今年3月28日だった。享年80──。
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