「第6回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の最大の被害者は、オリックスかもしれない。WBCは決勝でベネズエラが3-2でアメリカに勝利し、初優勝を飾った。ベネズエラ国内では優勝を祝うため、翌日を国の祝日にするなど大盛り上がりだった...
記事全文を読む→天才テリー伊藤対談「ヒロシ」(3)ブーム絶頂の頃の月収は4000万
テリー そんなさんざんな状況の中で、ホストは何年勤めたの。
ヒロシ 入って1カ月で辞めたいと思ったんですけれど、結局3年いましたね。一時期はホームレスみたいになっちゃいましたし。
テリー え、マジで!?
ヒロシ そういう体たらくなので月の稼ぎが2万~3万円しかなくて、アパートを出るしかなかったんですよ。だから、毎日キャッチ(客引き)で声をかけた子に「ちょっとだけ住まわせてほしい」「今晩だけでいいから泊めて」って、そんな交渉ばっかりしていました。
テリー みんな初めて会う女の子でしょう? そんなにあっさり泊めてくれる?
ヒロシ それが意外にいけちゃうんですよ。正直に事情を話すと「1週間なら」「とりあえず来なよ」って子がいました。それが1~2年続いたんですかね、かなりの人数に泊めてもらったと思います。
テリー へェ、すごいな。それも一つの才能と言っていいかもね。ホストをしている間、お笑いは?
ヒロシ それどころじゃなかったです。ホストが休みの日はコンビニでバイトしていたんですが、月4回だけの出勤なのにホストより全然稼げるんですよ。なので、本音はコンビニだけにしたかったんですけれど、どうしてもホストは辞めさせてもらえなくて‥‥またお笑いを始めるのは、31歳で熊本の実家に逃げ帰ってからですね。その時、発表する当ても場もなかったんですが、2カ月ぐらいずっと家にこもって、その後の「ヒロシです」のもとになる「あるあるネタ」をたくさん書いていました。
テリー 苦労したけど、いいネタ元になったね。
ヒロシ そうですね。その後、勤めていた店が潰れたという噂を聞いて、「じゃあ戻っても大丈夫だろう」とまた上京。とにかくライブにたくさん出るようにして1年ぐらいたった頃に、「笑いの金メダル」なんかに出るようになってから、皆さんに認知していただきました。
テリー 当時の人気はすごかったよね、収入もドーンと上がったでしょう?
ヒロシ 最高の時は月収が4000万円ありました。
テリー その前は2万~3万円だったのに。ブームのど真ん中にいた時、どんな気持ちだったの?
ヒロシ 僕としては細々といきたかったんですが、思いのほか注目されてしまったので、「ダメだ、このままだと終わってしまう」とおびえていました。ネタも量産できなかったですし。
テリー それは意外だね。
ヒロシ 最初の頃のネタは月に20本ぐらいライブをやって、そこから厳選したものをテレビに持って行ってたんですけれど、忙しくなってそんな余裕がなくなり、いきなりテレビで新ネタをおろす状態になったんですよ。いつも「スベるんじゃないか」と不安で、キツかったですね。かといって、バラエティーのひな壇で気の利いたことを言えるわけでもないですから。
テリー そうかな。俺はヒロシのこと、ずっとおもしろいと思っていたけどね。
ヒロシ はい、テリーさんはずっとそう言ってくださっていて、うれしかったですね。ただ、個人的には精神的に追い詰められて、スタジオに行くのが恐ろしくなったので、当時の事務所に「もうテレビに出ない」と宣言しちゃったんです。
テリー そうか。前にいくつかの番組でヒロシの出演を断られたことがあったけど、そういう理由があったのか。
アサ芸チョイス
スマホの通知に追われる日常から、少し距離を置く。そんな「デジタルデトックス」では、若者が編み物や日記、フィルムカメラといったアナログ趣味にハマるケースが報告されているが、この流れは中年層にもじわじわと波及している。その背景にあるのは、仕事で...
記事全文を読む→3月17日の明治学院大学白金キャンパスは、卒業式に出席したスーツ姿の男子学生や袴姿の女子学生で華やいでいた。その中でも、花柄ベージュ色の袴でひときわ目を引いていたのが、元「モーニング娘。」の北川莉央である。アイドルウォッチャーが解説する。「...
記事全文を読む→4月29日公開予定の映画「SAKAMOTO DAYS」。原作は「週刊少年ジャンプ」で連載中の鈴木祐斗による漫画で、ストーリーは次のような感じだ。「かつて伝説の殺し屋として恐れられていた男・坂本太郎は、ある女性に恋したことを機に殺し屋を引退。...
記事全文を読む→

