パソコンで写真を保存しようとしたら容量不足で止まり、エクスプローラーを開くとCドライブの空きがほとんど残っていない。大量の動画を入れた覚えもないのに、いつの間にか容量が減っている。そんな時に疑ってほしいのが「休止ファイル」だ。Windows...
記事全文を読む→女優・大原麗子の情念、私を女優と呼ばないで!
大原麗子の経歴を見て驚かされるのは、大女優と思えぬ圧倒的な仕事量である。端役でフル稼働だった東映の新人時代はともかく、主演の座を獲得した70年代後半から90年代になっても「掛け持ち」は続いた。
麗子の唯一の兄弟である弟・政光は、その理由を口にする。
「姉は早くから自分の事務所を構えて、スタッフの給料はもちろん、メイクや結髪やスタイリストも自前だったんですよ。姉はNHKのドラマも多かったけど、ご存じのようにギャラは高くない。経費を引いたら赤字です。NHKで4日拘束されたら、残りの3日で民放のドラマをこなし、こうしたお金を作っていた」
また80年に再婚した森進一は、歌謡界の重鎮ではあるが、前年に起こった「渡辺プロからの独立」の余波で、干された時期だった。2人の新居の光熱費もお手伝いの給料も、麗子がせっせと稼いでいたという。
もっとも、決して「守銭奴」ではなかった。仕事の量こそこなしても、納得しない脚本や演出には首をタテに振らなかった。たとえば映画デビューの「孤独の賭け」(65年、東映)では、先輩の佐久間良子の従妹役で共演しているが──、
「佐久間さんが姉を引っぱたくシーンで、監督のOKは出ているのに『もう1回、本気でやってください』と言ったんですよ。ふつうは先輩の佐久間さんとのからみで、そんなことは言えないんでしょうけど」
弟には新作のたび「どうだった?」と聞いてくる。ただ「良かったよ」と答えると、とたんに叱責される。
「ちゃんと見なさい。どこがどう良かったの!」
後年、さる高名なアニメ監督から声優としての出演依頼が舞い込む。これにはあっさりと辞退した。
「私は声優ではないので」
監督からはさらに高額の条件を提示されたが、それでも実現することはなかった。
麗子にとって女優としての分岐点は2つある。1つは「獄門島」(77年、東宝)における市川崑との出会いだった。それまでハスキーではあるが、ドスの効いた声の出せない麗子に、市川はアドバイスした。
「下っ腹に力を入れて声を出してごらん」
それによって声が裏返ることなく、感情の高まりを表すシーンの発声が可能になった。
麗子がもっとも支持されたと言っていい「サントリーレッド」のCMは、この市川が当初の演出を担当している。
〈少し愛して、長く愛して〉
誰もが一度は耳にしたであろうフレーズとともに、コケティッシュな麗子の魅力が満開となる。当時、サントリーレッドは最下級に位置するウイスキーではあったが、市川が演出することと「大衆に愛される商品」の2点で出演を了承したという。
「姉は市川監督と出会った頃から『女優』と呼ばれることを嫌いました。私は『俳優』だという意識になったんです」
その強い意識は、後に「悲劇」を生むことにもなるのだが‥‥。
アサ芸チョイス
可愛さ余って憎さ百倍。いやはや、この2人のバトルは本当にすさまじかった。沢口靖子が主演したNHK連続テレビ小説「澪つくし」や、渡辺謙主演の大河ドラマ「独眼竜正宗」の脚本を手掛け、飛ぶ鳥を落とす勢いだった脚本家のジェームス三木氏。ところが19...
記事全文を読む→1991年10月から毎年、春と秋の改編期に放送される「TBSオールスター感謝祭」。TBSの人気番組や新番組に出演する俳優やタレントらがクイズやゲームで競う、いわば番宣番組だ。今年は4月4日に放送されたのだが、番組の名物コーナー「赤坂5丁目マ...
記事全文を読む→堺雅人主演ドラマ「VIVANT」(TBS系)が3年ぶりの続編でも、圧倒的な存在感を放っている。第2シーズンの初回放送は、平均世帯視聴率18.8%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)を記録。放送中にはXで世界トレンド1位になった。前作は2023年...
記事全文を読む→
