もう真夏の外出は、根性で乗り切る時代ではないらしい。気象庁は今年、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と新たに決めた。猛暑日を超える暑さが日常化したことで、服そのものが冷却機器になる流れも加速している。これまでのファン付きウェアは「現場作業用...
記事全文を読む→徳川家康がフィリピンへと追放した「キリシタン武将」は悪逆非道の半魚人だった!?
内藤如安(じょあん)忠俊というキリシタン武将をご存じだろうか。
如安は洗礼名ジョアンを音訳したもので、内藤飛騨守とも称される人物である。織田信長に反旗を翻し、希代の茶道具・平蜘蛛とともに爆死したことで知られる、松永久秀の甥として生まれた。父の松永長頼は、丹後の守護代・内藤国貞の娘となった人物だ。
紆余曲折はあったが天正十三年(1585年)頃から、豊臣秀吉の寵臣・小西行長に仕えるようになり、かなり重用されたという。そのため、主君・行長からは「小西」姓を名乗ることを許されている。
如安は17歳で宣教師・フロイスから洗礼を受けた、熱心な信者だった。関ヶ原の戦(1600年)で主君・行長は西軍の主力として戦って敗れ、斬首された。その後はキリシタン大名だった高山右近とともに前田家の客将、いわゆる居候となり、金沢で布教活動や教会の建設に力を注いでいた。
だが、慶長十八年(1613年)に江戸幕府の初代将軍・徳川家康がキリシタン禁止令を発令。そのため翌年、右近、妹の内藤ジュリアとともに呂宋(今のフィリピン)・マニラへ追放となった。
如安はその後、日本人のキリシタン町サンミゲルなどの建設に力を注ぎ、寛永三年(1626)、77歳でこの世を去っている。
まさに晩年は信仰に生きた人物と言えるが、朝鮮半島での如安の評判は最悪だ。それには秀吉の朝鮮に出兵した文禄・慶長の役が起因している。
加藤清正とともに、この朝鮮出兵の中心人物・小西行長の重臣たる如安は、小西飛騨守こと「小西飛」として悪逆非道の権化のように伝わっている。両目は大きい上に、唇はどす黒くて分厚かったとされている。しかも、顔中を髭で被われた上に、ウロコまであったというから、まるで半魚人だ。
如安は文禄の役(1592年)に平壌を陥落させると、美貌の娼婦・桂月香を愛妾とした。だが、桂月香が愛妾となったのは、平安道の役人・金景瑞に日本軍に情報を流すためだったという。
そして数カ月にわたって情報収集したある晩、如安を泥酔させ、庭に潜んでいた金景瑞を招き入れて殺害してしまったと伝わっている。
だが、実際の如安は朝鮮出兵では死んでおらず、関ヶ原の戦いでも生き延びている。勇猛果敢に戦った結果、恐れられていたのか、実際に悪事の限りを尽くしたのか。それは定かではないが、敬虔なキリシタンのイメージとあまりに違いすぎるのは確かだ。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
ドジャース・大谷翔平の第二子誕生をめぐって、フェミニストを名乗る女性たちがSNS上で「多産DVだ」「年子出産は女性虐待だ」と騒いでいる。大谷夫妻は昨年4月20日に第一子誕生を報告、この6月20日に第二子誕生をアナウンスした。これら誹謗中傷コ...
記事全文を読む→一発出たら同点。3-7と4点をリードされて迎えた7回裏、二死満塁の場面。この日いちばんの勝負どころで、広島・新井貴浩監督がベンチから送り出した代打は捕手・石原貴規だった。結果は空振り三振。最大の山場でなぜ、より長打を見込める打者を送り込まな...
記事全文を読む→これはトレードのショーケースなのだろうか。そう思ってしまったのは、阪神タイガースの梅野隆太郎捕手が2軍から再昇格し、6月23日のヤクルト戦に即スタメン出場して攻守に高い能力を見せつけたことだ。1-0とリードした5回に二塁打を放ってチャンスメ...
記事全文を読む→

