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記事全文を読む→羽野晶紀が和泉元彌との結婚で突き付けられた「嫁の7カ条」/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
先日「和泉元彌との結婚から20年 二十歳の長女に言い聞かせる『悔いを残さぬように』」(CHANTO WEB・5月7日配信)と題する和泉元彌の妻、羽野晶紀のインタビュー記事を目にした。記事の中で、彼女は20年の歳月を振り返り、
〈なんだかあっという間でしたね。大変なこともありましたけど、私はポジティブな性格なので、深刻にとらえないで、この経験を次に活かそうと思ってきました〉
そして伝統芸能の旧家へ嫁いだことについては、次のように振り返ったのである。
〈そういうことにはまったく無知のまま、嫁入りしたようなものでした〉
〈結婚前に、誰にも最後だとは言わずに、ひとつひとつの仕事を楽しくやりきれたので、家庭に入ることに後悔は残りませんでした〉
一見のんびりしているイメージの羽野だが、なるほど、彼女は物事を相当ポジティブに捉える女性なのだろう。というのも、この夫婦の結婚までのプロセスが、なかなか波乱に満ちていたからである。
2人の「バレンタインデーお泊りデート」が写真誌「FOCUS」にキャッチされたのは、01年2月である。同誌の取材に対し、元彌は「彼女とは真剣な交際で、やましいところはないのですが、やはり夜に嫁入り前の女性と部屋で会うのは不謹慎と言われても仕方がないです」。交際を素直に認めたものの、母・節子氏から「自分の置かれている立場を自覚して、羽野さんと会うのを控えなさい」と注意されていたと告白。節子氏もマスコミ各社に「結婚ということは今現在、考えも及ばないことでございます」とコメントしたことで、芸能マスコミの間では、2人の破局は時間の問題、との見方が広がっていた。
ところがその後、羽野が妊娠。それを機に01年12月21日の婚約記者会見となるわけだが、節子氏は会見当日も報道陣を前に、
「正直申しまして(羽野が嫁になることに)不安はございます」
などと言ってのけ、「嫁の条件7カ条」なるものまで開示。だが、逆にそれが話題となり、ついたあだ名が「りえママより凄い和泉家のゴッドマザー」。すると、特異なキャラクターに目を付けたフジテレビが、なんと「笑っていいとも!」の月曜レギュラーに起用することになるのだから、芸能界とはなんとも不思議な世界だ。
ただ、その後も公演のドタキャン騒ぎや、ダブルブッキング等々で節子ママ&元彌バッシングが続く。連日、芸能マスコミに追いかけ回されたこともあり、羽野は「和泉家」の嫁として、おそらく相当な気苦労があったのではないかと思われる。婚約発表の席上、
「(プロポーズの言葉は)『同じお墓に入ろう』と。前評判で難しい家、家族が怖いと言われていましたから、大丈夫だよ、と」
満面の笑顔で語る元彌の隣で、ややひきつった苦笑いが印象的だった羽野。結婚から20年、まさにポジティブな女性なのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。
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