11月に入り、朝晩の冷え込みが一段と身に染みるようになると、仕事帰りの赤提灯や大衆酒場で恋しくなるのが、湯気立ち上る燗酒だ。夏場の冷酒一辺倒から温かい日本酒へシフトする左党が増える時期だが、暖簾をくぐって開口一番「とりあえず熱燗で!」と大雑...
記事全文を読む→【江戸時代の烈女伝】婚約者を殺害されて…10年かけて仇討ちを成功させた「男装の麗人」
江戸時代の初め、慶長から元和年間(1596年から1623年)にかけて、福岡県柳川地方出身の女性による、敵討ち事件が発生した。柳川・山門地方では唯一の敵討ち事件として、後世まで語り継がれている。
当時、柳川藩士の娘に、林操という16歳になる女性がいた。美形である上に性格がよく、しかも文武両道に秀でていたという。そんな操だけに、嫁のもらい手は引く手あまただったが、父の同役の息子である京都(みやこ)幾之助に輿入れすることになった。
評判の女性を嫁にもらうとあって、周囲の妬みはすさまじいものがあった。中でもかねてより操に思いを寄せて宮川右内が、嫉妬心から幾之助の殺害を計画。幾之助とその父である三左衛門が、福島(現在の八女市福島)にある福岡城を訪れた際に、屋島(現在の筑後市)の松原で待ち伏せた。そして親子ともども鉄砲で撃ち殺し、そのまま逃亡してしまった。
将来の夫を殺害された操は幾之助の無念を晴らすため、藩に仇討ちを願い出た。だが宮川は藩随一の武芸者として知られる存在で、そのままでは返り討ちに遭うのは目に見えており、周囲には反対の声が多かった。
諦めきれない操は男装して剣術の腕を磨き、名刀・来国光を手に、敵討ちの旅に出る。家を出る際には「見事に仇討ちができたら、この枝は必ず生い茂って大木になる」と観世音菩薩に念じて、柳の枝を逆さに地面に刺したという。
この逸話が後世、柳川町の柳町・綾小路の由来とされている。
操の敵討ちの旅は、柳川を出発して豊後(大分県)、豊前(福岡県)から本州に渡り、長門(山口県)、山陰道を回って現在の兵庫県や大阪府、京都府、北陸に及び、三河、尾張(東海地方)にまで達した。
そして諸国を巡ること10年。四国に渡り、ついに阿波の徳島城近くの鹿野ケ原で憎い敵に遭遇し、見事に討ち果たしたという。本懐を遂げて柳川に戻ったものの、仇討ちの許可を出してくれた主家の田中家は後継ぎがなく、断絶していた。
その後、操は出家して尼僧となって余生を過ごし、83歳で生涯を閉じた。墓は福岡県みやま市瀬高町の西念寺にあり、彼女の行動を称える碑が建立されている。
林操の仇討ちについては、江戸時代後期に成立した「南筑操之柳」に書かれている。烈女の執念はすさまじい。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
脳梗塞で療養中だった伊達みきお(サンドウィッチマン)が、10月31日の「サンドウィッチマンザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送)で、2カ月ぶりに復帰した。「さあ、時刻はお昼の1時を回りました。こんにちは。サンドウィッチマンの伊達みきおで...
記事全文を読む→泉ピン子が訴えられた。映画製作会社「HumanPictures」が11月3日、所属監督の映画「AYUMI」と「養父」に出演したピン子に対し、損害賠償を求め2日付で東京地裁に提訴したと、公式Xで公表したのだ。問題が発生したのは、10月23日に...
記事全文を読む→毎日のように見聞きする「不正アクセスによる情報漏洩」のニュース。もはや情報漏洩していない企業のほうが珍しいんじゃないのってくらいだし、それどころか官公庁にまで被害は及んでいる。三菱UFJフィナンシャル・グループが、2027年3月までの開業を...
記事全文を読む→

