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記事全文を読む→尾藤イサオ「どこへ行くのも電車と歩きで」/テリー伊藤対談(1)
10歳から曲芸師として芸を磨き、エルヴィス・プレスリーに衝撃を受けてロカビリー歌手としてデビューした尾藤イサオ。1966年にはビートルズの来日公演の前座を務め、その舞台を客席から見ていたのが高校生だった天才テリー。約60年の時を経て2人の人生が交差する。
テリー 尾藤さん、おいくつになったんですか。
尾藤 今、81ですね。
テリー ええっ! 髪の毛も多いし、シワも全然ないし、健康管理とかどうなさってるんですか。
尾藤 お酒が好きで、毎晩飲んでるんですけども、やっぱり80の声を聞いて飲む量もかなり少なくなって。あとは僕は目が悪くて車を運転しませんから、どこへ行くのも電車と歩きで。やっぱり歩くのは、すごく健康のもとになってますね。
テリー 今もずっと歌い続けていて、それも健康にいいんでしょうね。
尾藤 そうですね。18歳で歌手デビューして、おかげさまでずっと仕事を続けてこられて、ほんとに仕事様々ですね。
テリー やっぱりエルヴィス・プレスリーとの出会いが大きかったですか。
尾藤 そうですね。まず、10歳から16歳まで、いわゆる曲芸師としてやってまして。
テリー 知らない人もいるかもしれませんけども、お父さんも寄席に出られていたんですよね。
尾藤 寄席芸人で百面相をやってまして。その関係で、親父の友達でもある鏡味小鉄師匠に10歳で弟子入りして、5年奉公、年季が明けて1年の礼奉公なんていうのがありましてね。ただ、12歳かそこらでプレスリーとの出会いがあるわけです。「ハート・ブレイク・ホテル」を聴いて、「なんだこれは!」っていう、すごいショックと、「こんなに俺の体を動かせてくれる人がいるのか」なんていう驚きがあって。
テリー 曲芸っていうのはどんなことをやっていたんですか。
尾藤 いわゆるジャグリングです。それこそ(海老一)染之助・染太郎師匠とまったく同じで。私は鉄太郎なんて名乗っていましてね。
テリー じゃあ和服を着てたんだ。
尾藤 和服でずっとやってたんですけれども、プレスリーを見てからは、プレスリーと同じようなストライプのシャツやブルゾンで曲芸をやるという。ですから寄席に出る時もタイトルを「ロカビリー曲芸」にしてました。
テリー へぇ、おもしろい。
尾藤 それで日劇ミュージックホールに出たり、当時SP盤というレコードがあって、それを持って、日本全国のお祭りや慰安会だとかにも行きましたね。普通はお囃子で出て行くんですけれども、僕はプレスリーの「監獄ロック」で出て行くわけですね。それで傘を回したり、ナイフを投げたりしてましたね。
テリー 格好いいなぁ。新しいファンが増えますよね。
尾藤 ですから日本全国で曲芸をやらせてもらって。1959年から1年間、アメリカにも行くんですよ。
テリー 曲芸で?
尾藤 ええ。向こうにもワイドショーみたいな番組があって、スタジオなんかに行くと、出番を待ってるバンドがいるわけですよ。それで片言の英語で「歌えるのか?」って聞くと、「歌える」って言うんで、プレスリーの歌をご披露させていただいたり。
テリー 本場で歌うって、すごいですよね。
尾藤 擦り切れるほどレコードを聞いてましたから、耳に入ったそのままの発音で歌ってました。
テリー 耳がいいんだなぁ。向こうの人、みんなビックリしたでしょう。
尾藤 まだ15、6歳で、しかも紋付き袴で歌うわけですから。喜ばれましたね。
ゲスト:尾藤イサオ(びとう・いさお)1943年、東京都生まれ。曲芸師として活躍する傍ら、中学時代にエルヴィス・プレスリーに出会い、ロカビリー歌手を目指す。1960年、プロダクションに所属し、都内のジャズ喫茶などに出演。それがテレビプロデューサーの目に留まり、「パント・ポップショー」(TBSテレビ)や「森永スパーク・ショー」(フジテレビ)にレギュラー出演する。1964年、カバー曲「悲しき願い」が大ヒット。1966年、ビートルズ日本公演の前座を内田裕也やブルージーンズらと務めた。1970年、テレビアニメ「あしたのジョー」の主題歌を歌い、代表作のひとつに。また俳優としても多くの映画やドラマに出演。現在「夢グループ20周年記念コンサート」で全国ツアー中。8月10日(日)にはZepp DiverCity TOKYOで開催される「スーパーアニソン魂2025“夏の陣”~THE LEGENDS~」に出演。
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