芸能

宮川一朗太「お母さんならこうしてくれたのに」が嫌だった/有名人シングルファーザー奮闘記

 価値観の不一致から夫婦ゲンカが絶えず、奥さんが出て行ったのは自身が30代半ばのことだった。当時は小学6年生と4年生だった娘2人を育て上げた、宮川一朗太(59)が波瀾万丈の父娘ライフを振り返る。

 思いかけず、シンパパ生活をスタートさせた宮川だが、予想以上に家事はそつなくこなせたという。

「亭主関白の父に憧れを抱いていたんですけど、新婚の時、妻にそれを伝えたら『はっ!?』ってキレられて、以来、家事にもできるかぎり携わってきましたから(笑)。娘たちが学校へ行ったら、食器を片づけ、布団を片づけ、洗濯機を回してる間に掃除機かけたりね。僕の感覚的には、小学生はあっという間に学校から帰ってくるんですよ。『もう帰ってきた! あれっ? さっき出たばっかじゃん』みたいな。『全然休んでないぞ』っていう。主婦はこんな大変なことを毎日やっているのかと痛感しました」

 しかし、宮川はへこたれることなく頑張った。妻を追い出す形になってしまった負い目があったからだ。子供たちに、それまでどおりの生活を維持させたいという気持ちが強かった。

「ママがいなくなったら家が急に汚くなったとか、そういうふうに思われるのが嫌だったんですよ」

 もちろん、すべてがうまくいったわけではない。ある日、いつものように洗濯をしていると、3人分のパンツを一緒に洗っているところを長女が目撃し、号泣してしまったのだ。

「いつも一緒に洗っていたんですよ。それなのに、ものすごい嫌がられてね。僕のパンツは『きれいだぞ!』『バラの香りがするんだぞ』なんて苦し紛れのフォローをしたんですが、当然、聞く耳を持つわけもなくて」

 それ以来、下着をわざわざ分別して洗濯するようになったそうだ。

 そんなこんなで2年間が過ぎた頃、妻がひょっこり家に戻ってきた。

「当時の2年間は本当に長い長い時間でしたね。でも、妻とうまくやり直せるかなと思い、しばらく一緒に暮らしました。でもやっぱり価値観が違いすぎて、そうなると箸の置き方が気に食わないとか、そんなレベルでもケンカになっちゃって‥‥。やはりこれは無理だなと、正式に離婚することになりました。もちろん子供たちはどっちが面倒を見るかという話になったんですが、妻がいなかった期間もあったし、経済力のあるほうが子供たちの負担も少ないだろうと、僕が親権を持ちました」

 また、3人暮らしが始まった。娘2人は中3と中1になっていたから、毎朝、弁当を作るというミッションも増えた。だが、家事以上に育児で壁にぶつかることとなったのである。

「とにかく元妻のことを言われるのは嫌でしたね。『お母さんだったらこうしてくれたのに』とか‥‥。2人とも中学生で多感な時期だったので、ケンカになると『パパがママを追い出した、パパがママを追い出した』となるわけです。『それはそうかもしれないね』と受け入れて、いつかはわかってくれると思っていました」

 とりわけ、思春期を迎えた長女との生活は一筋縄ではいかなかった。

「下の娘はパパっ子だったものですから、まだ懐いてくれたのですが、上の子は反抗期が激しくて、部屋にこもってしまって、1つ屋根の下に住んでいるのに姿がどこにも見えなくなって‥‥。1日にふた言ぐらいしか言葉を交わさない日が続きましたね。『夕飯できたぞ!』『うん』ってひと言返ってくるぐらい。ご飯を一緒に食べても会話がないし、まったく僕のほうを見ないので、反抗期の女の子ってこんなに父親を見ないものなのかと学びましたよ」

 そして、さらなる困難が宮川を待ち受ける。娘たちの進学が控えているにもかかわらず、経済的な危機に瀕したのだ。

「仕事が少ない頃でした。中学生の子供がいるのに、年相応のそんな役のオファーはまず来ない。2時間ドラマで人を殺すか、殺されるか、そんな役ばかりで、金銭的にかなり危かった時期でしたよ。子供たちも友達から『お前のパパは、また昨日死んでいた!』って言われるので、真剣な顔で『パパ、殺される役はやめて』って。でもやめるわけにはいかない。はっきりと覚えていますけど、洗濯機の渦を見つめながら、それに吸い込まれていくような精神状態になっちゃって『あーーっ!』って叫んで、そんなことが2度、3度ありましたね」

 冷静になり、保険に詳しい友達に相談したところ、郵便局の学資保険が前借りできることがわかり、糊口を凌いだ。結果、娘は無事、大学に進学することに。

「前借りしちゃったせいで、その後、満期まで頑張ったのに『これだけ‥‥』っていう。もらえる額がすごく少なかったです(笑)」

 現在、2人の娘は30歳を超えた。次女が25歳で結婚を決め、宮川のもとに長文のLINEメッセージが届いたという。

「『パパの娘に生まれてよかった』って言うんですね。はい、もう号泣です。涙なしに読めない長文がありました。そこで初めて救われた気がしましたね。頑張ってよかった。間違ってなかったって心底思いました」

 そんな宮川も、一昨年の8月におじいちゃんになった。

「男の子です。娘婿に似て目がクリクリで、ハンサムになると思います。宮川の血は感じないですね(笑)」

 思春期に一切、宮川と口をきかなかったという長女については、

「今、一緒に住んでいますよ。優しくていい子に育ちました。もう全然、普通にすごく仲よしです。あの数年間はいったい何だったんだろう? っていうぐらいですね。高3になるぐらいから、靄の中にいたのが、だんだん姿を現してきた感じです。不良にならなくてホントによかったです。名作ドラマ『積木くずし』のような状態はなんとしても避けたかったので(笑)」

 シングルファーザーとして、娘たちと密に長く過ごした宮川。その経験から得た知見があるという。

「僕が常に心がけたのは、子供のことを何でも知ろうとはしないことです。学校から帰ってきた娘に『今日どうだった?』『いじめられてないか?』『逆にいじめてないか?』『勉強はちゃんとできてんのか?』って。特に1人親だといろいろ心配で、聞きたくなっちゃうんですよね。でも、その気持ちにフタをして聞かない。聞かれることを子供はすごく嫌がるからです。例えば、一緒にご飯を食べてる時に、『今日、こんなことがあったよ』と、自分の話をする。『パパは今、こんな仕事をしてる』と話して、もしも子供が話したければ自分の話をしてきますから。会話が弾む、その空気を作ってあげるということが大事なんです。そういう場を作るように心がけたおかげで、反抗期はありましたが、変な秘密はなかったと思いますよ」

 宮川家の「家族ゲーム」は、終わりなきストーリーを描き続けているようだ。

宮川一朗太:1966年、東京都生まれ。俳優、声優、ナレーターとして活動し、ドラマのほか、競馬番組、クイズバラエティーにも出演する。1983年、映画「家族ゲーム」で主演デビュー。同作で「第7回日本アカデミー賞」新人俳優賞を獲得。近年では、「半沢直樹(第一部)」、大河ドラマ「光る君へ」など多数のドラマに出演。声優として「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など多くの作品でマイケル・J・フォックスの吹き替えを担当している。

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