テリー この本を読むと、辛口の江本さんが、長嶋(茂雄)さんのことになると急に大絶賛ですよね。
江本 あの人は神様ですから。何やっても大丈夫なんですよ(笑)。
テリー 僕も大好きなんですけど、改めてどういうところが。
江本 僕が小学校4、5年生で野球を始めた時のスーパースターですからね。立教三羽烏の本屋敷(錦吾)、杉浦(忠)、長嶋で出てきて。当時は田舎の映画館に行くと本編が始まる前にスポーツニュースってあったでしょう。あれとか野球雑誌を見ながら、「いつか長嶋さんとグラウンドに立ちたい」と。それがずっと残ってるんですよね。
テリー そうですよね。
江本 だから、いまだに僕らは言うんですよ。王(貞治)さんとか張本(勲)さんとかね、いろんな大選手がいて尊敬はしてます。でも、長嶋さんの場合は崇拝しとるんです。「尊敬」と「崇拝」の違いなんですよ。
テリー 神様だから崇拝だ。江本 そうですね。やっぱり違う星から来た人ですよ。時々言ってることわかんないでしょう。当たり前なんです、人間じゃないんですから。
テリー そうですよね。優しいし。
江本 義理人情がすごいですよ、実際はね。ただ、エピソードだけ聞いてると、「ちょっと大丈夫?」っていうことも多いけど。
テリー でも、あれ盛ってますよね。
江本 盛ってる(笑)。巨人の連中とかね。だけどね、戦後に生まれた我々の世代って、みんな同じように育ってるんですよ。結局、あの頃は日本全国どんな田舎に行っても同じような情報が入ってきてましたね。やっぱり長嶋さんに対する憧れっていうのは、みんな尋常じゃなかったですね。そういうことが引き続いて、幸いちょっと一緒にやれたからよかったですけどね。僕が阪神に入った時は監督だったから、オープン戦で対戦したことしかなかったですけど。
テリー 最近、お会いしてますか?
江本 電話ではたまに。知り合いに毎日のように長嶋さんに電話する人がいて、時々代わってくれるんですよ。一緒に飯食ってる時に「代わる?」って聞かれて「ハイ」って。ちょっとね、僕には言葉が聞き取れなかったりもするんだけど、こっちから「江本です。今、食事をご一緒させていただいて」なんて言って。
テリー ジャイアンツとドジャースのプレシーズンマッチの時、大谷のところにも行ってたでしょう。あれもすごいなと思って。普通は行かないじゃないですか。
江本 何か、すごい意欲的なんですってね。その人は毎日電話してるからちゃんと会話できるらしいんですよ。やっぱり物事にものすごい意欲的で、ファッションだとかお金だとかね、そういうことに対してもすごく関心があるらしいです。
テリー ミスターは歩けないけど、自分でマジックテープで止める靴を履いてるんですよ。僕は同じところでオーダーしました。
江本 我々は長嶋さんって若い時の記憶があるから、今の姿を見るのは、ちょっと辛いところもありますけどね。しょうがないですよね、年取ったら。
テリー ただ、僕らもなるかもわからないじゃないですか。だから僕は「自分がなった時はミスターみたいに生きよう」って、目標になってますけどね。
江本 ああ、それもありますね。
テリー だから、「大谷のところに行くんだ。すげぇな」っていう。出ないほうが楽なんだけど、あえて出ていくのは勇気がいりますよ。
江本 そうですね。だから、本人は行きたがるらしいですね。巨人阪神のOB戦があったのは去年だったかな。その時も裏に来てましたよね。その時、車椅子組がけっこういましたからね。「ええっ! この人も車椅子?」って。
テリー もう我々はみんなそういう年齢だから。
江本 そうですね。この前法政のOB会で会ったら田淵(幸一)さんも杖ついてたからね。「どうしたんですか」って聞いたら、数日前自転車に乗ってたらコケたって言ってましたね。「もうやめなさいよ、自転車なんか乗るの」って言ったんですけどね。
ゲスト:江本孟紀(えもと・たけのり)1947年、高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組を経て、1971年、「東映フライヤーズ」(現・日本ハム)入団。同年、南海ホークス(現・ソフトバンク)移籍。1976年、「阪神タイガース」に移籍し、1981年、現役引退。1992年、スポーツ平和党より比例代表で出馬し、参議院議員初当選。2期12年を務めた。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。YouTubeチャンネル「エモやんの、人生ふらーりツマミグイ」配信中。主な著書に「プロ野球を10倍楽しく見る方法」(ベストセラーズ)、「おれ、紆球曲球」(日之出出版)、「監督原辰徳研究」(徳間書店)など。最新刊「昭和な野球がオモロい! 」(マガジンハウス/日之出出版)発売中。