もはやコメ大臣を誰にも止められない。待てど暮らせど市場に流れなかった備蓄米を速攻で流通させたのはいいとしても、その背景には無理が通れば道理引っ込む的な暴君ぶりがあったという。一連の激震を間近で見ていた現役政策秘書が現場から寄稿する!
「コシヒカリ」ならぬ「ナナヒカリ」(言わずもがな「親の七光り」)、父・小泉純一郎元総理の郵政民営化にかけた「郵政の二の米(まい)」─ネット上に流れた自民党の選挙ポスター風の風刺画は永田町にも出回った。5月21日の小泉進次郎農水相就任によって、世間は「進次郎劇場」の真っ只中となっている。
ここで改めて振り返っておきたいのは、小泉大臣誕生の背景。5月18日の江藤拓農水相(当時)による「コメは買ったことがない。売るほどある」発言へのバッシングである。
当初は、江藤氏も大臣を辞める気はなかったようだけれど、大炎上して辞表を書かざるをえなくなった。私たち国会女子(議員秘書たちを私、神澤はこう呼ぶ)も、「江藤米販売所」「米は売るほどある自民党」「米がなければ支援者からもらえばいい」などと書かれた選挙ポスター風のネット画像をおもしろがりつつ、大臣辞任、更迭の噂が出ると一気に臨戦モードへ。後任についても真剣に意見交換することになった。農政は日本の根幹なのだから。
秘書たちが当時、永田町界隈で得た情報をまとめると、ポスト江藤大臣のトップは齋藤健議員だった。齋藤議員は17~18年に農水相の経験があり、約40年ぶりの減反政策見直し、約60年ぶりの農協改革、約50年ぶりの酪農改革、流通改革、日豪経済連携協定、TPP(環太平洋パートナーシップ)、日本とEU(欧州連合)の経済連携協定の前進に注力。31年ぶりの商業捕鯨再開の道筋をつけるなどの実績があった。
二番手は林芳正官房長官。就任すれば兼務になり、さらに忙しくなってしまうけれど、林氏には「危機管理のプロ」として定評がある。過去に2回農水相経験があり、問題解決が早いという期待感もあった。
進次郎氏は三番手でも、これは半分ネタみたいなもの。一応自民党の農林部会長だったし、世間的な知名度もある。農政に関する政治力とかでなく、人気者の力に頼る支持率浮上策であるのは見え見えだった。
「小泉さんも候補といえば候補だよねえ」
「有名だしね。でも、ぶっちゃけ日本の食の安全保障を投げ出すというか、諦めるってことじゃない?」
「ホント、そう。(父・純一郎元総理の)郵政民営化もボロボロだもんね」
などと仲間の国会女子の進次郎評は低かったし、男性秘書たちも「マジかよ。日本の農政終わったなあ」と悔しがっていた。しかし翌早朝には、議員会館はすっかり「進次郎新大臣で決まり」となっていた。
5月20日に神澤がコッソリ議員会館内の小泉事務所を見にいくと、すでに大勢のマスコミ関係者が部屋の前にたむろして、「これはガチで進次郎大臣だな」と確信した。ちなみに、この時も小泉事務所のドアはいつも通り閉まったまま。議員が不在でもドアは開けておいて、来客に秘書が対応するのが議員事務所の常識なのに。小泉父も「変人」だから、息子もそういうものなのかも‥‥。
とはいえ、女性秘書の中にはなんだかんだ言って進次郎ファンは多い。人気の理由はルックスもあるけれど、実は、秘書に対しても見下したりせず、挨拶してくれるソツのなさもある。
部会や議連の準備などをするスタッフにも優しく、エレベーターで一緒になった議員には「〇〇先生、今日は□□委員会が荒れていて大変でしたね」とさらっと言えるし、与野党議員の名前と顔も覚えている。
たいていの議員は「選挙の時&有権者の前」以外では仏頂面。そういう中だからこそ、進次郎氏ばかりが素敵に見えてしまうのだろう。
余談だけれど、小泉事務所内にはランニングマシーンがあるのも永田町では有名な話。ランニングしながらスピーチを考えたり、国会質問の内容を覚えたりするらしい。国会にもジムはあるが、進次郎議員は「スピーチの練習で声を出したい」という理由で事務所内にマシーンを導入。なぜかマシーンから降りる時には勢いよく飛び降りるようで、下の階の事務所の天井が「ドシンッ!」と振動するそうだ。それで「あ、今日はマシーンで練習してるな」とわかるのだとか。
神澤志万(かみざわ・しま):現役政策秘書。永田町歴20年以上の現役政策秘書。女性。著書に『国会女子の忖度日記 議員秘書は、今日もイバラの道をゆく』(徳間書店刊)。