16年から6年間、中日の投手として活躍した三ツ間卓也氏(32)は、球界を離れたあと農業を学んだ。そして、数多くの試練にブチ当たりながらも、24年1月に念願のイチゴ農園をオープン。白球がイチゴに代わったものの、今も熱い思いは変わらない─。
戦力外通告を受けた21年は、コロナ禍の真っ只中でした。外出もしにくい状況で、ベランダの一角を使ってトマトやイチゴなどの家庭菜園に挑戦してみたんです。そうしたら息子から「パパのイチゴおいしい。もっと食べたい」と言われて、涙がこぼれましたね。それがイチゴ農園を作ろうと思ったきっかけです。
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三ツ間氏は育成ドラフト3巡目で中日に入団。1年目は主に中継ぎとしてウエスタン・リーグで35 試合に登板し、5勝2敗1セーブ(防御率2.19)の好成績を残した。2年目に開幕一軍入りを果たすと2勝11ホールドを挙げる活躍をみせ、4年目には投手ながら代打として出場したことも話題になった。しかし21年秋、戦力外通告を受けて退団を余儀なくされる。
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野球が好きだからプロになれた。育成枠から一軍に上がれたのだから、ゼロからのスタートでも頑張れると思いました。それに妻が「あなたはまだ好きなことを極められる人。イチゴが好きならプロを目指したら」と、後押ししてくれたのも心強かったですね。
とはいえ、趣味と職業は別ですから、まずは農業で収入を得る勉強のために1年間、専門学校に通って、農家での実地研修も体験しました。
これらの期間を含めてオープンするまでの2年間は無収入でしたけど「違う職業で野球の年収を超えたい」という思いをバネに頑張っていました。でも、そう簡単にはいきませんでしたね。土地探しから育苗、金銭的にも予定外の出費が多く、銀行から借入金を手にするため、5年間の事業計画書を10回以上も書き直して、やっと4500万円の融資を受けることができました。
それでも「野球選手に農業などできるか」とか「新規就農者に紹介する土地はない」などと言われ、やっと土地の契約ができると思っていたら、元プロ野球選手だと聞いた地主が相場の20倍の値段を吹っかけてきて破談になったことも。あまりにも悲しいことが続いて、体にじんましんが出たこともありましたね。
でも、応援してくださる方も多かったですよ。SNSを目にしたフォロワーさんから「土地があるけど見ますか?」と連絡があり、すぐに行きました。横浜駅から車で30分ぐらい、相鉄いずみ野線いずみ野駅から徒歩約10分で広さは約300坪ありました。関東の野球ファンに来てもらいたいという思いもあったので、契約することにしました。
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いよいよ農園作りがスタートするのだが、限られた資金だけに業者に丸投げとはいかない。真夏の炎天下、木や草が生い茂る土地をみずから整地し、ビニールハウスを作るための資材も調達。10キロ以上ある鉄骨を解体してトラックに乗せて運んだ。
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重たい鉄骨の束を引きずって運んでいた時、体に触れて血だらけになったこともありました。その格好のまま帰宅したら息子に怖がられましたけどね(笑)。
もちろん、お金をかけなければいけないところは惜しみませんでした。コンセプトは「おしゃれで、バラエティー豊かで、来た人みんなが楽しんで、笑顔で帰っていただける農園」です。
インスタ映えするように看板などフォトスポットもたくさん作りましたし、子供や女性客に喜ばれるように、トイレにもこだわりました。通常、農地は下水が引けないので仮設トイレの場合が多いんですけど、200万円の費用をかけてキレイなトイレを設置しました。
あと、防犯ですね。昨年のGWに同業者からのイジメに遭い、水道弁を切られて1レーンが枯れたことがあったんですけど、実は数日前にも深夜に不法侵入がありまして。複数の防犯カメラやレーダー感知システムを設置しているので被害はありませんでしたけど。
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オープンから2年目を迎えた現在は、甘味が強い「ほしうらら」、甘さと酸味のバランスがいい「スターナイト」、大きさと甘さが抜群の「ゆきざくら」、希少品種の「天使のいちご」など9種類を販売している。
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イチゴが育っていくのがおもしろいのはもちろんですが、お客様から「おいしい」「粒が大きい」「食べ比べができて楽しい」といったうれしい声をいただき、1年目はイチゴの生育が追いつかない事態にも見舞われました。イチゴが苦手だったお子さんの笑顔は、今でも印象に残っています。
元中日監督の谷繁元信さんや現役の選手、OBの方たちにもたくさん来園していただいて、とても励みになっています。
今後も農園活動を活性化したいという思いと同時に、戦力外通告を受けたプロ野球選手を雇用できるぐらい、大きな企業に発展させたいですね(笑)。