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記事全文を読む→「プロレスVS格闘技」大戦争〈猪木VSルスカより前に企画されていた大一番 幻に終わった東京五輪金メダリストとの大晦日決戦〉
プロレスラーと他の格闘技者が激突する、異種格闘技戦が本格スタートとなったのは1976年2月6日、日本武道館で実現したアントニオ猪木と72年ミュンヘン五輪で重量級と無差別級の2階級金メダルに輝いた柔道世界一のウィレム・ルスカの一戦だ。
21年(大正10年)3月5日と6日の2日間にわたって、東京九段の靖国神社相撲場特設リングで庄司彦男四段ら4人の柔道家がアメリカの2人のプロレスラー、アド・サンテル、ヘンリー・ウィーバーと対戦した「西洋相撲対柔道 日米国際試合」から55年ぶりのプロレスVS柔道だった。
だが歴史をひもとくと、猪木VSルスカの10年以上も前にプロレスVS柔道のスーパーファイトが極秘裏に計画されていた。それはジャイアント馬場と64年東京五輪の柔道無差別級で金メダルを獲得したアントン・ヘーシンクの激突である。
柔道が初めて正式競技に採用された東京五輪で、日本のお家芸・柔道を制したヘーシンクは日本国民に大きな衝撃を与えた。そのヘーシンクをプロレスのリングに引っ張り上げようと考えたのは、日本テレビの企画担当の編成局長だった後藤達彦氏。かつてプロ野球中継のプロデューサーとして手腕を振るって「スポーツ中継の日本テレビ」というイメージ作りに貢献した人物である。
当時、金曜夜8時からの日本プロレス中継は日本テレビの看板番組の1つ。そのエースのジャイアント馬場とヘーシンクのプロレスVS柔道を大晦日の「NHK紅白歌合戦」の対抗番組にするというのが後藤氏のプランだった。
後藤氏はザ・ビートルズの日本公演などを実現させた共同企画エージェンシー(現キョードー東京)の嵐田三郎氏にヘーシンク攻略を依頼したものの、交渉は難航。ヘーシンクがようやく首を縦に振ったのは、交渉から長い年月を要した73年のことだった。
当時、日プロ中継を打ち切って設立されたばかりの馬場の全日本プロレスを全面バックアップしていた日本テレビは、ヘーシンクを自社専属選手として契約、全日本に預けたのである。
この時点で「柔道世界一が馬場に挑戦!」という手法を使えば猪木VSルスカより先に「プロレスVS柔道」がプロレスファン、格闘技ファンを熱くさせただろうが、日本テレビは対決姿勢を打ち出さずに、馬場の下でのプロレスラーへの転向という形を取った。
ヘーシンクのプロレスラー転向計画は急ピッチで進められた。73年9月25日、オランダ・ユトレヒトで日本テレビと契約を結んだヘーシンクは、10月7日に来日して9日に全日本の蔵前国技館大会でリング挨拶を行うと、すぐさまテキサス州アマリロに飛んでドリー・ファンク・ジュニアのコーチを受け、10月20日に現地でマック・マックォリーをアルゼンチン・バックブリーカーで仕留めてプロレスデビュー。11月24日には蔵前で馬場と組んでブルーノ・サンマルチノ&カリプス・ハリケーン相手に日本デビューを飾った。
当時の全日本中継の原章プロデューサーによると、ヘーシンクは視聴率的には貢献したというが、柔道の現役から5年以上が経ち、すでに39歳‥‥柔道だけでなく、グレコローマン・レスリングの実績もあったがプロレスには順応できず、もっさりしたファイトに終始するヘーシンクをプロレスファンは支持しなかった。
ゴリラ・モンスーン、ドン・レオ・ジョナサンなどと柔道ジャケットマッチも行ったものの、凡戦に終わって低迷。「柔道は世界一でもプロレスは三流」と酷評されたが、そんなヘーシンクを高く評価していたのはジャンボ鶴田だ。
猪木VSルスカの2年後の78年2月5日、1年半ぶりの来日で鶴田のUNヘビー級王座に挑戦したヘーシンクは、柔道着を身につけ、三流と酷評されたプロレス的要素を排除した格闘家としてファイト。通常のプロレスルールだったが、世界選手権、東京五輪を制した袈裟固め、さらには右腕を極めにかかるなど、格闘技戦の様相に。最後はエプロンからリング内の鶴田に裸締めを仕掛けて反則負けという不透明決着になり、当時は「世紀の凡戦」と言われたが、戦った鶴田は「ヘーシンクの筋力は素晴らしく、実際に組み合ってみると、他のレスラーから受けたことのない圧力を感じた。もし彼が勝ち負けだけでないプロレスの芸術性を理解できていたら、超一流のプロレスラーになっていたはずだ」と後年に語っている。
この鶴田戦を最後にヘーシンクはプロレスのリングを降りてしまったが、無理やりプロレスの枠に押し込まず、最初から柔道とレスリングをベースにした格闘家としてプロレスのリングに上がっていたら、また違った格闘技人生になっていたに違いない。
このヘーシンクの悲劇を踏まえてルスカ、76年モントリオール五輪93㎏超級銅メダリストのアレン・コージ(バッドニュース・アレン)の成功があったと言ってもいいかもしれない。
そして来年1月4日、新日本の東京ドームで20年東京五輪の100㎏級金メダリスト、ウルフ アロンがプロレスデビューする。
文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。
写真・山内猛
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