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記事全文を読む→「猪木VSアリ戦」50年の真実〈第2回〉(1)高見山VSアリはなぜ消えた
大風呂敷を広げて収まりがつかなくなってみろ、やらざるを得なくなる─とはアントニオ猪木の名言だが、対アリ戦という破格の大風呂敷は、仕掛け人らによって緻密かつ極秘裏に進められていた。50年前の実況アナ・舟橋慶一氏だけが知る秘史、試合の調印式までの仰天の逸話が明かされる!
前回、「高見山VSアリ戦」の構想があったことについて記した。実現には至らなかったが、水面下では薄氷を踏むかのような交渉が行われていた。連載第2回は、表に出てこなかった真相から触れていく。
1975年1月。NET(現テレビ朝日)運動部長・永里高平は日本アマレス協会会長・八田一朗からの国際電話を受けた。当初、モハメド・アリの対戦相手として大相撲の関脇・高見山を真剣に検討していたのだ。舟橋慶一が当時を振り返る(以下、カギカッコ内は舟橋の弁)。
「永里さんは大相撲中継の総合プロデューサーでもあり、相撲協会との人脈が豊富だった。昵懇の仲であった春日野親方、元横綱・栃錦に話を持ちかけたんです。『折り入って話があるんだが』と」
春日野親方は相撲協会理事長に就任して2年目で、協会の大改革に着手していた。新しい国技館建設(蔵前から両国へ移転)を無借金で行うこと、相撲茶屋制度(本場所のチケット手配から飲食に至るまでを一括管理する観戦システム)の改革などという、数々の難事業に取り組んでいたのだが、永里のたっての依頼とあり、「最大限努力する」と答えた。
「高見山関と言えば、ハワイ出身の外国人力士でしてね。本名はジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルア。アメリカ出身のビッグな体格。永里さんが『そうだ、ジェシーがいるではないか』とひらめいたのは、72年にアリが初来日した際のレセプションで、高見山関の姿を目に焼き付けていたからだと思います。確かに絵になりますよね」
72年4月1日にモハメド・アリVSマック・フォスターが日本武道館で開催された。この試合の実現に心血を注いだのが、興行プロデューサーの康芳夫であり、そのスポンサーとなったのが、アメリカで飲食店を幅広く起業していたロッキー青木。さらにボクシング興行権のない康に協力したのが、協栄ジム会長・金平正紀だった。
こうした昭和の大物の共演が、アリ唯一の日本でのボクシング公式戦(ノンタイトル戦)を導き、やがて猪木戦につながっていく。ところが、この「アリVS高見山」構想は、75年5月1日付の日刊スポーツに掲載された1本の記事が引き金となって白紙になる。
「『高見山、プロレス転向。夏場所後にスピード引退へ』という見出しでした。永里さんも春日野親方もひっくり返ったと思いますよ。この構想は極秘中の極秘で進めていたのに、皮肉なことに、高見山関の転向報道というまったく別のところから、すべてが御破算になってしまった」
誰一人として、外部にこの構想を漏らしていなかったにもかかわらず、高見山の「プロレス転向」という、無関係な報道へ飛び火してしまったのだ。
舟橋慶一(ふなばし・けいいち)1938年生まれ。62年にNET(日本教育テレビ/現テレビ朝日)入社。アナウンサーとして「ワールドプロレスリング」実況など多数の番組を担当。
福田竜一(東京新聞)
写真提供/山内猛
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