もう真夏の外出は、根性で乗り切る時代ではないらしい。気象庁は今年、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と新たに決めた。猛暑日を超える暑さが日常化したことで、服そのものが冷却機器になる流れも加速している。これまでのファン付きウェアは「現場作業用...
記事全文を読む→「猪木VSアリ戦」50年の真実〈第2回〉(2)妙案「アリを羽田に呼べ!」
しかしそのころ、NET常務・三浦甲子二はすでに永里・春日野ラインとは別のレールを走っていた。三浦はNETのニューヨーク支局にロッキー青木とアリ陣営の動向を調べさせ、感触を確かめていた。元朝日新聞の辣腕政治部記者として鳴らした三浦の面目躍如である。三浦は75年3月の段階で、早くも「猪木VSアリ」一択に絞り込み、外堀を埋め始めていたのだ。
「三浦さんは本当に策士でした。表で永里さんに高見山案を追いかけさせておきながら、自分は猪木さんに話を通し、ニューヨークの交渉ルートを固めていた。そして75年6月、とんでもない秘策を講じたのです」
75年6月9日。アリはマレーシアの首都クアラルンプールでのジョー・バグナー戦に向かう途中、東京・高輪プリンスホテルに「立ち寄った」。当時の新聞報道でも、世界戦の前に羽田空港でトランジット(乗り継ぎ)をしたと書かれていて、「偶然来日した」というのが、これまでの定説になっている。
「実はこれ、三浦さんが全部仕組んだことなんです。アリのスイートルームの手配も、記者会見の段取りも、すべて三浦さんが裏で動いていた。そして記者会見の場に、新日本プロレスの渉外担当・杉田豊久さんが猪木さんの『応戦状』を持って乗り込んできたでしょう。あれだって、NETから新日本へのアドバイスによるものなんです。そもそも、トランジットで羽田空港に来ただけなのに、大勢の陣営を引き連れて高輪プリンスホテルに宿泊しているなんて、少し考えれば不自然ですし、トランジットでたまたま立ち寄っただけなのに、高級ホテルのスイートの宿泊代という膨大な経費まで出すのもおかしい。でも、これを指摘する人は当時からほとんどいなかった。いかに三浦さんの手腕が鮮やかかつ迅速だったのかと感心します」
翌6月10日、各スポーツ紙がアリ来日会見を報じたが、1紙だけが際立つ内容を掲載した。
「日刊スポーツだけが、『猪木側は東京開催を希望。大晦日に紅白(歌合戦)の裏番組でNETが放送』と、具体的な日時と放送局名まで書いていたんです。これは三浦さんからリークされたネタだと私は確信しています。大晦日の紅白の裏でプロレスを中継する─それはアリ側へのメッセージでもあったんですよ。NETは『ワールドプロレスリング』の放映を開始した69年の大晦日に、『ドリー・ファンクJr対アントニオ猪木戦』を放映し、録画中継ながら高視聴率を得ていました。71年の大晦日にリマッチ構想もあったのですが、猪木の日本プロレス追放で飛んでしまいましたから、三浦さんの頭には『打倒紅白を猪木VSアリ戦で果たす』という野望があったのかもしれません」
舟橋慶一(ふなばし・けいいち)1938年生まれ。62年にNET(日本教育テレビ/現テレビ朝日)入社。アナウンサーとして「ワールドプロレスリング」実況など多数の番組を担当。
福田竜一(東京新聞)
写真提供/山内猛
アサ芸チョイス
ドジャース・大谷翔平の第二子誕生をめぐって、フェミニストを名乗る女性たちがSNS上で「多産DVだ」「年子出産は女性虐待だ」と騒いでいる。大谷夫妻は昨年4月20日に第一子誕生を報告、この6月20日に第二子誕生をアナウンスした。これら誹謗中傷コ...
記事全文を読む→一発出たら同点。3-7と4点をリードされて迎えた7回裏、二死満塁の場面。この日いちばんの勝負どころで、広島・新井貴浩監督がベンチから送り出した代打は捕手・石原貴規だった。結果は空振り三振。最大の山場でなぜ、より長打を見込める打者を送り込まな...
記事全文を読む→これはトレードのショーケースなのだろうか。そう思ってしまったのは、阪神タイガースの梅野隆太郎捕手が2軍から再昇格し、6月23日のヤクルト戦に即スタメン出場して攻守に高い能力を見せつけたことだ。1-0とリードした5回に二塁打を放ってチャンスメ...
記事全文を読む→
