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記事全文を読む→【世界の「最凶独裁者」列伝】隋の第2代皇帝「煬帝」は飢えてガリガリの農民の前で山海の珍味を川に投げ捨てた
「俺の首を取るのは誰だ」
権勢を誇った隋の第2代皇帝・煬帝(ようだい)は最晩年、鏡を覗き込みながら側近にそう呟いたという。中国には「暴君」と揶揄されながらも、業績の大きさから名君と評された始皇帝がいる。
だが実際の名を楊広というこの煬帝は、生前の所業から「天に逆らい民をしいたげた」として「煬」の字があてられた、中国史上で最も忌み嫌われる悪名高き独裁者だ。
隋の初代皇帝・文帝の次男として生まれた煬帝は子供の頃から要領がよく、ずるがしこい性格だった。しかしそんなことはおくびにも出さず、両親からは生真面目で誠実とみられていた。
この男が本性をむき出しにしたのは、兄に代わって即位した瞬間だった。先代の貯蓄を散財し始めた煬帝はやがて「無類の女好き」を爆発させる。巨大な宮殿に良家の娘を連れ込んでは愛欲にふけり、その数は120人を超えたというから驚く。
そんな煬帝が民衆に強いたのは、異常なまでに人命を軽視した「大運河建設」だ。父・文帝の時代、部分的に開通していた運河をさらに発展させようと考えたこの男は、毎月200万人もの民衆を現場に投入。総工程は1500キロに及んだという。
高句麗遠征で30万人の兵を投入も帰ってきたのは2700人
飢餓や疫病で民衆がバタバタと命を落とす中、自身は4階建ての豪華絢爛な「龍舟」に乗り込み、数千隻の船団を従えて豪遊。船列は90キロにもなったとされる。
飢えでガリガリに痩せた農民たちの目の前で、煬帝は山海の珍味に舌鼓を打ち、食べきれない大量の御馳走を平然と川へ投げ捨てたという。その歪んだ特権意識こそが、煬帝という独裁者の真の顔だったのである。
こうした暴走ぶりは、対外政策でも見られた。煬帝は三度にわたる高句麗遠征を強行。第一次遠征では100万を超える大軍を投入しながら、戦略の拙さから惨敗。遼河を渡った30万余の兵のうち、帰ってきたのはわずか2700人だったという逸話がある。
戦場は死の淵と化し、隋の統治機能は完全に麻痺。「天下の十人に九人が盗賊となる」という内乱状態に陥ったとされる。
コトここに及んで、崩壊の時が訪れる。大業14年(618年)、江都(揚州)でクーデターが勃発。最愛の12歳の子供が目の前で斬り殺され、その血で煬帝の衣服が真っ赤に染まる。追い詰められた煬帝は自尊心を守るため「武士の情け」として毒酒を求めた。
だが最後は側近だった護衛兵の手により真綿で首を絞められるという、最も屈辱的で凄惨な方法で殺害されることになった。50年の生涯。それは、あまりにもみじめな最期だったのである。
(山川敦司)
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