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記事全文を読む→大石内蔵助が徹底調査して手本にした赤穂浪士討ち入り2年前「長崎・大量殺人事件」の手法と幕府処分結果
赤穂浪士の討ち入りには「モデル」があった。討ち入りの2年前、元禄13年に天領・長崎で起きた深堀事件、長崎喧嘩騒動である。佐賀藩深堀領で発生した、深堀領の武士と長崎会所(貿易機関、現在の税関)の有力町人・高木家による大規模な殺傷、討ち入り事件だ。
発端は些細なことだった。深堀領主の家臣である深堀三右衛門ら2人の武士が、長崎の大音寺坂(現在の万才町付近の「けんか坂」)を歩いていた。その際、長崎の筆頭町年寄・高木彦右衛門の使用人とすれ違い、泥をはね上げ、口論となった。
その場は一度収まったが、腹の虫が収まらない高木家の使用人ら十数名が、深堀鍋島家の長崎屋敷に乗り込んだ。武士中心の江戸とは違い、日本唯一の貿易都市・長崎では、金を持つ有力商人の力は想像以上に強い。彼らは三右衛門らに暴行を加えた上、武士の魂である大小の刀を奪い去り、意気揚々と引き上げた。
町人に刀を奪われては武士の面目は丸潰れで、藩の名誉も傷つけられたことになる。場合によっては切腹ものだ。汚名をすすぐため、三右衛門は深堀から駆けつけた仲間と合流し、翌未明に浜町にある高木家屋敷に討ち入った。そして当主の高木彦右衛門や使用人ら計9名を討ち取り、三右衛門はその場で切腹して果てた。
たかが泥をはねた、はねないという口喧嘩が大量殺人事件にまで発展するとは、当時の人もびっくりだろう。
商人の横暴な態度が気に入らない一般庶民は武士に喝采を送った
天領であるため、長崎奉行所は幕府の判断を仰ぎ、厳しいながらも双方への喧嘩両成敗に近い決定が下った。深堀武士側は三右衛門以外に生き残った主犯格10人が切腹、あとから駆け付けた9人が五島列島に島流しとなった。
一方、高木家側も最初に深堀屋敷に乗り込み生き残った8人には打ち首、高木彦衛門の息子は家財屋敷を没収され、長崎から追放されたという。
一般庶民はなんと、武士側にやんや喝采だった。普段から金や権力を持っていることで横暴な態度が目立った高木家を懲らしめたとして「深堀義士」として称えたという。
大石内蔵助がこの深堀事件の討ち入り手法や幕府の処分結果を徹底的に調査させ、吉良邸討ち入りの際の参考や手本にしたとの記録や伝承が残っている。江戸から遠く離れた長崎での討ち入りの成功がなければ、赤穂浪士の討ち入りの形は少し変わっていたかもしれない。
(道嶋慶)
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