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Posted on 2026年09月06日 06:00

プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈868本の記録に秘された2つのドラマ〉

2026年09月06日 06:00

 王貞治の両目に熱いものがあふれていた。その顔は青白く頰が削げていた。

「ボクもたくさんのホームランを打ったが、こんなのは初めてだ。プロ1号よりも興奮した」と口にしてこう続けた。

「死ぬまで忘れないだろうね」

 1971年9月15日、甲子園球場での阪神対巨人の24回戦だった。

 王は阪神の左腕エース・江夏豊に3打席連続三振を喫していた。まったく手も足も出ず、ベンチに戻るたびにぼう然としていた。

 だが、2点を追う9回表にドラマが待っていた。起死回生の38号逆転3ランを右翼席に叩き込んだのである。

 プロ13年目、通算485本目だった。

巨 0 0 0 0 0 0 0 0 3=3
阪 0 0 0 0 0 0 0 2 0=2

 この年の王は一本足打法でいきなり本塁打王を獲得した62年以来、最大のスランプを味わっていた。

 39本塁打でなんとか本塁打王に輝いたものの9年連続40本台を逃した。打率は2割7分6厘と3割に届かなかった。

 例年本塁打を量産する8月には、20打席連続ノーヒットのドン底を味わった。王の頰が削げ始めたのはこの頃だ。

 原因はハッキリしていた。前年のオフに王を一本足打法に導き、マンツーマンで指導してきた荒川博が巨人を退団して独り立ちを余儀なくされたのだ。

 荒川がいないから打てなくなったと思われたくないし、それでは師匠に申し訳ない。真摯な気持ちがマイナスに働いた。

 巨人は9回表1死から上田武司と高田繁が連続四球で一、二塁とした。続く4番の長嶋茂雄は一邪飛に倒れた。

 5番に降格していた王が打席に立つと笑い声が混じった野次が飛んだ。

 江夏の第1球カーブを見送ってストライク、第2球もカーブで空振りし、たちまち追い込まれた。

 23歳の江夏は約2カ月前の球宴で9者連続三振の偉業を成し遂げている。

 どう見ても江夏が有利だ。次の球を外して1ボール2ストライク、王は4球目をファウルした。

 江夏の5球目は捕手・辻恭彦のミットに届かない。暴投で二、三塁となった。6球目は力を込めて外角に放ったがわずかに外れた。フルカウントだ。

 辻はこの日の王がカーブに合っていないと判断し、カーブのサインを送った。だが、マウンドの江夏は何度サインを出してもクビをタテに振らない。

 辻が怒りの表情でマウンドに向かった。「カーブを投げろ」と指示した。

 江夏は納得しない。

「王さんを相手にカーブを投げて三振を取ってもうれしくない」と突っぱねた。

 変化球でかわしたくない。オレの真っすぐで真っ向勝負して三振を取る。孤高の男の流儀に辻が折れた。

 ところが、全力投球の7球目は内角への真っすぐが少し甘く入った。王が渾身の力でフルスイングした。打球は右翼の藤井栄治が差し出したグラブをわずかに越えてラッキーゾーンに落ちた。

 王は後に「打って涙が出たのは868本の本塁打の中であの1本だけです」と振り返っている。

 苦悩と重圧の大きさがわかる。それでも大スランプの中、10年連続の本塁打王と打点王の二冠に輝いた。

---

 後楽園球場に詰めかけた4万8000人の観衆は王の打棒に酔った。

 1979年9月12日、同球場での巨人対阪神25回戦だった。

 8回1死、監督の長嶋茂雄がベンチを飛び出し球審に告げた。「代打に王」

 球場がドッと沸いた。王は池内豊が2ボールから投じた内角の真っすぐを捉えた。打球は放物線を描いて右翼席中段に落ちた。プロ21年目、通算831号は26号代打本塁打となった。通算868本中、唯一の代打アーチでもあった。

「一度打ってみたいと思っていた。あとは1イニング2ホーマーをやってみたいね」

阪 0 0 0 0 0 0 0 1 0=1
巨 1 0 0 0 0 1 0 1 ×=3

 王は8月28日の中日戦(後楽園)の守備中に打者走者と激しく衝突し、足と胸を強打した。当初は軽傷の見込みだったが、精密検査で肋骨の亀裂骨折が判明し、安静を強いられたものの、9月10日からベンチに入った。

 当時は130試合制である。骨折が判明した時点で巨人は108試合目、スポーツマスコミは「今季絶望」と報道した。

 ところが、その10日の大洋(現DeNA)戦に9回裏1死から代打で出場した。この時は三振に終わった。

 12日の試合は8回に先発の西本聖がマイク・ラインバックにソロ弾を浴びて追い上げられていた。7回までノーヒットに抑えていただけに気落ちしているように見えたのだろう。

 王は西本がベンチに戻ると大声でこう声をかけた。

「1点取られてもかまわない。ここで1点取ればいいんだ。心配するな。取ってやる」

 まさしく、有言実行の一発だった。

「大打者はケガに強い」と言われる。肉体の頑丈性を備えて試合に出続けることこそが超一流への道だ。

 驚異的な回復力を持った世界の本塁打王が見事に証明している。

 王は39歳のこの年、120試合に出場した。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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