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ピンチをチャンスに変えた「挫折」の受け止め方 萩原流行

 舞台にドラマ、映画で存在感を示す一方で、ウエスタンルックに身を包み、芸人顔負けのマシンガントークをバラエティ番組で披露する。そんな「個性派俳優」の名にふさわしい豪快な顔とは別の一面が萩原流行にはあった。40周年を迎える芸能生活の半分は、実は「うつ病」という試練とともにあるのだ。

3時間は何も覚えてない

 異変は突然、やって来た。91年、座長を務めた舞台の千秋楽、その翌日のことだった。自宅で休息していた萩原流行(59)は、テレビから聞こえるアナウンサーの声が急に早送りのように聞こえた。逆に、声が遅くなったりもした。萩原は「これは幻聴」だと思った。
「ああ、疲れてるんだなぁと思いましたよ。その時、家には僕1人だったんで、試しに頭の中で独り言を言ったんですよ。その声も同じように早くなったり遅くなったりしてね」
 気分転換すべく、喫茶店にでも行こうとした。着替えて、家の外に出て、フッと時計を見て、再び萩原は驚愕する。
「5分、いや10分ぐらいしかたっていないと感じていたんですけど、喫茶店まで1時間もかかっていた。やっばいなぁ、相当疲れてるわと思ったんですよ」
 本人が「疲れ」と軽く考えたことが、のちのち20年間にわたってつきあうこととなる「うつ病」とは思いもよらなかった。
 ただ、前日まで1カ月間の舞台が「疲れ」の原因だと思っていた。数億円もの制作費をかけたミュージカル。しかも、座長という大任も任された。それ以上に、休みのない公演で上演中は歌いっぱなし、しゃべりっぱなし、出ずっぱりというハードな内容である。38歳という若さではあったが、疲労を感じてもおかしくはなかった。
 しかし、振り返れば、舞台初日から異変の“前兆”はあった。38度の高熱を出し、開演数時間前に解熱剤を注射。これで声帯が閉じてしまい、声が出ない状態になった。オープニングから16分間、歌わなければならなかったのに・・・・。
「普通なら、声帯を広げてくれるかかりつけの医者に行くんです。その日も行く時間は十分あった。なのに、なぜかパニックになり、行かなかった。その状態のまま本番を迎え、やっぱり、声が出ない。『どうしよう、やめようと言おうか。でも、これで俺がやめたら、若い彼らのギャラが出るのか』。そう考えたところまでは覚えているんだけど、その後の3時間は何も覚えていないんですよ。恐らく、『俺は役者だ。気持ちが伝わればいいんだ』と開き直り、テンションがパーンと飛んで行っちゃったんだろうね」
 その3年前、萩原の妻は「うつ病」を発症している。萩原は献身的に看病をしていた最中であった。公私ともに多忙を極めていた。
 それでも、妻は萩原の異変に気づいていた。後日、萩原にこう話したという。
「劇場を出れば、芝居のことは忘れて切り替えられる人が、1カ月間、家の中でも恍惚のまま芝居に入った状態だった。『イッちゃったわ。ヤバイことになるなぁ』と直感的に思った」
 萩原にはそんな記憶がない。いや、気がつかなかっただけかもしれない。ところが、脳からのSOSはすぐに顕在化することとなる。
 萩原は、その舞台のために休んでいたテレビの仕事を復活させた。1週間にわたる打ち合わせが終わり、サスペンスドラマのクランクインとなったのだ。
「女優さんも監督も仲のいい連中ばっかりだった。変なプレッシャーがある現場ではなかったわけです」
 しかも、セリフも入っているし、自信満々に「スタート!」の声を待っていた。そして、カチンコが鳴った瞬間だった。
「セリフが出てこない。頭が真っ白になりました。
『すいません。もう1回いいですか』と、リスタート。しかし、またセリフが出てこない。50回以上やり直したけど、セリフが出てこない。わけわかんなくて、脂汗が出てきてね」
 監督に収録を中止にしてもらい、すぐに病院へ直行した。「うつ病」と診断され、抗うつ剤を処方された。
 妻とともに「Wうつ」となってしまったのだ。この時、萩原は初めて妻の本当の苦しみを理解することになる。
 翌日、萩原は現場へと向かった。セリフはちゃんと口から出てきた。でも、肉体的にけだるく、立っていられないほどだった。
「そこで、また病院に行き、もう少し弱い薬をもらった。抗うつ剤っていうのは、何種類もあるから、その人に合った薬を探していくのが大変なんです」
 それでも仕事を続けた。そのため、萩原の身に「強迫神経症」「パニック症候群」と、さまざまな症状が発症していく。毎日、ドラマの撮影があるほど多忙な状況であった。
「そして、ついにドーンと底までいっちゃった。起きられない、人に会いたくない、仕事もしたくない、何も考えたくない、このまま死んじゃいたいとなってしまったんです」
 どんどんマイナス思考にとらわれる萩原。当然、妻の看病どころではない。妻も「うつ病」を抱え、夫に気遣いをすることにも疲れる。2人で模索しながら、この試練に耐えた。「でもね、底まで落ちてしまえば、逆に楽なんです。『治りたい』と気持ちを立て直すまでが、つらいんです。それは、ドン底まで落ちたくないとあがくからなんだけど、その期間がいちばん、苦しいんです」
 萩原は「うつ病」と上手につきあえるようになるまで、5年間かかった。
 主治医から「役者をやめないとうつは治らない」と言われている。だが、役者をやめる気はない。だから、いまだに抗うつ剤を飲みながら仕事を続けている。

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