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記事全文を読む→死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(3)
18勝で西本が「沢村賞」獲得
81年は江川、西本の活躍で優勝したと言っても過言ではなかった。江川20勝。西本18勝。江川が勝って、翌日も西本で勝つ。西本が勝って、また江川で勝つという連勝街道をチームは邁進した。
その年、僕は2試合連続で先発したゲームもあったんです。序盤戦で相手打線につかまり、当時の投手コーチだった中村稔さんがマウンドに来て、「代われ」って言われたんです。「嫌です」って答えたら、「いや、代われ」「嫌です」。そしたら、中村さんが「代わったら、また明日先発させてやるから。どうする?」って聞いてきて。このまま投げていても勝てない。それだったら、明日投げたほうがいいかなって。それで交代したんです。そしたら、翌日完封できた。勝ち星で江川さんに置いていかれないぞ、負けるもんかって、必死でしたね。
その年の日本シリーズです。第1戦、江川さんが先発してチームは負けました。はしゃいだり、顔に出したりはしませんでしたが、心の中では、江川さんが負けたことを喜んでいた。僕の中で、「よし、打たれろ」というのがありましたから。
そして、翌第2戦に僕が行った。チャンスですよ。
ジャイアンツファンには「江川で勝てなかった。第2戦、西本で勝てるのか?」というのがあったと思います。「V9」でとぎれた73年以来、その81年まで日本一がなかったわけです。期する思いがあったファンの中には、ペナントで20勝した江川さんが第1戦でチームに勝利をもたらすことを見込んでいたと思う。ところが負けてしまったから、格下の西本ではどうなのかという空気になったと思います。だからこそ、自分が勝つことで存在感を出せると思っていました。そして実際に、完投勝利でシリーズの流れを引き戻したんです。
その81年オフ、20勝の江川が最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、MVP、最優秀投手、ベストナインと投手タイトルを独占した。しかし、最後に残った唯一のタイトル「沢村賞」に選ばれたのは西本だった。同賞の落選は、江川が西本を本気でライバル視する契機にもなったようだ。
第一報を聞いたのは、確か多摩川グラウンドで練習していた時だったと思います。率直に「江川さんじゃないの? 冗談だろ?」って。江川さんに勝ったという喜びすらなかった。そこからはもう、僕に対する批判が巻き起こりましたからね。「何で20勝の江川じゃなくて、18勝の西本が獲ったんだ?」って。チーム内からさえも、「おかしい」って声があったほどです。何も裏で手を回したことなんて絶対にないし、投票の権利を持っている人たちが選んだだけなのに‥‥。何だか、僕が悪者になったような時期がありました。あの当時はスポーツ新聞の一面がジャイアンツでないと売れない時代でしたから、全て一面、僕が悪者のような形で新聞に叩かれたわけです。「何で僕がそこまで言われなきゃいけないの?」とすごく心を痛めました。一方で、それはしかたのないこととも思った。それを見返すためってつもりはないけれど、さっきも言ったように認めてもらうには勝つしかないんですよ。
翌82年、沢村賞は選考基準が作成され、記者投票から元プロ野球投手による「選考委員会」によって選出されるようになった。2人のライバル関係が球界の歴史を変えたと言っていい。
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