さながら「師匠」と「弟子」の関係の2人。ところが、佐々木氏が中央の馬主になったばかりの07年、ある「事件」が起きていた。香港で行われたクイーンエリザベスII世杯(GI)で、武騎乗の近藤氏所有馬アドマイヤムーンが出走し、3着に終わる。前出・J...
記事全文を読む→武豊
野球界を制した男は競馬界も制す。マウンドからターフへと活動の場を移し、悲願のGIタイトルも獲得。今、最もノッている馬主といえば、あの大魔神である。だが、順風満帆に見える馬主人生の陰には、天才騎手を巡る苦悩と呪縛があった。「今は野球界の人間で...
記事全文を読む→藤田は、武が勝てなくなった原因に、ある有力馬主との関係悪化もあげている。〈その人から「お前、乗れないな」みたいなことを言われて、あの温厚なユタカさんが怒ったというんだ。07年4月、香港で行われたレースでユタカさんが騎乗した際、(中略)馬主は...
記事全文を読む→藤田は「武衰退」の原因をこう書いている。〈単純にいえば強い馬に恵まれた、恵まれないかという点に尽きるわけで(中略)エージェント制度と密接に関連してくる〉どういうことか。藤田はさらに解説を進める。〈強い馬を多く輩出する馬主や、それを手掛ける調...
記事全文を読む→藤田は岩田と福永がよほど嫌いなのか知らないが、〈成績がいい人が腕もないのに若手を威圧している。康誠とか祐一は、しょっちゅう制裁を食らっているけれど、それでいてジョッキールームでは若手に対して「危ないじゃないか」と怒っている〉ともバラしている...
記事全文を読む→現役騎手の立場でありながら、みずからの職場であるJRAを猛烈批判し、馬主や騎手仲間にも名指しで苦言を呈する。十分すぎる実績を残してきた実力者とはいえ、「タブー」に挑んだ衝撃はGI級。「競馬界の番長」ならではの暴露本出版に、現場からはどよめき...
記事全文を読む→87年にデビューして69勝を挙げ、新人最多勝記録を更新した武は、翌88年も順調に勝ち鞍を重ねた。そして3月19日、運命の馬、スーパークリークに出会う。伯楽・伊藤修司に、「脚を痛がっているので、様子を見てほしい」と言われ、すみれ賞のパドックで...
記事全文を読む→武・キズナのコンビ初戦は昨年12月22日のラジオNIKKEI杯2歳Sだった。そこを勝つか、悪くても2着になって賞金を加算したかったところだが、1000メートル通過1分6秒0という超スローペースに持ち味を殺され3着に終わる。コンビ2戦目、年明...
記事全文を読む→ディープインパクト以来、8年ぶり5度目の「日本ダービー」を制した武豊騎手。デビューから26年、JRA通算勝利数は3500を超え、キズナとのコンビでGI勝利数を67に伸ばした。そんな稀代の天才ジョッキーと親交が深く、11年度「JRA馬事文化賞...
記事全文を読む→豊が下降線をたどるにつれて、関係者の間でささやかれるようになったのが武一族の「5代目」と「引退後」。量子夫人との間にまだ子供はなく、5代目は未婚の幸四郎に託されることになりそうで、注目されるのは引退後だ。豊を取材したことがあるスポーツライタ...
記事全文を読む→豊にはもう一つ、場外での不安もあるという。「夏競馬の北海道で乗る時は、夜になるとよく1人で酒を飲む。競馬関係者がよく使う、札幌のススキノにあるクラブでは、『さっきまで豊さんが来ていましたよ』と言われたことがあります」(前出・競馬ライター)さ...
記事全文を読む→オルフェーヴル、ゴールドシップらの父として、今や大種牡馬の地位を不動のものにしているステイゴールド。今度の天皇賞・春ではオルフェとシップの頂上決戦が実現しそうだが、豊が父馬に乗っていなければ、この2頭は存在しなかったかもしれない。競馬ライタ...
記事全文を読む→曽祖父から4代受け継がれた武一族の天才DNA。豊の弟、幸四郎のデビューによって、一族への注目度はさらに高まることになる。そうした状況とは裏腹に、豊は05年にディープインパクトで3冠、年間212勝をマークするが、その頃すでに危険な兆しが忍び寄...
記事全文を読む→デビューからわずか3年目にしてジョッキーの頂点に立つ武豊。次々に記録を更新する天才の足跡は、競馬史に名を残す名馬との出会いでもあった。その一方で、日本の競馬だけでは満足せず、世界に目を向ける日が来る─「栗東トレセンで初めて取材した時、坊主頭...
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