80年の“解任”から93年の監督復帰まで、ミスターの活躍の舞台は野球解説などの球界だけにとどまらなかった。その唯一無二の天心爛漫なキャラクターを生かし、テレビ出演やビッグイベントのアンバサダーなど、マルチタレントとして引っ張りだこに。テレビ...
記事全文を読む→猪狩雷太
野村はまさに記録の人である。現役通算3017試合出場、通算打率2割7分7厘、2901安打、657本塁打を歴史に刻んだ。54年にテスト生として京都・峰山高から南海に入団。一度は解雇を言い渡されるが、粘り腰で契約延長を勝ち取った。筒井敬三、松井...
記事全文を読む→長嶋はよく「記録よりも記憶の人」と称されるが、実際は記録も凄い。それが霞んで見えるのは、王の記録がそれに輪をかけて凄すぎるからだ。王が入団した59年から長嶋が引退した74年までの16年間、セ・リーグ打撃タイトルを2人でほぼ独占している。「首...
記事全文を読む→長嶋茂雄の野球人生を語る上で、最上位に位置するであろう2人の名前は欠かせない。野村克也と王貞治─。ライバルであり、盟友であった存在が、スーパースターを奮い立たせ、より輝ける高みに押し上げていったのである。1958年9月1日、東京駅頭に夕闇が...
記事全文を読む→球審の砂川恵玄が右手を大きく上げた。試合再開の合図だ。足立光宏が打者のいない打席に1球投げた。そこで砂川がプロ野球史上6度目、1950年の2リーグ分立後4度目の「没収試合」を宣告した。1971年7月13日、西宮球場での阪急(現オリックス)対...
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