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打撃タイトルとは無縁で、打率3割を超えたシーズンも30本塁打をマークしたシーズンもない。
それでもファンに強烈なインパクトを与え、「記録よりも記憶に残る男」。それが新庄剛志だ。
現在、日本ハムを率いて4年目の今季、2016年以来の優勝を狙っている。
その新庄が彼らしいプレーで「オールスター戦」のMVPに輝いたのは、04年7月11日、長野オリンピックスタジアムでの第2戦だった。
前年に米大リーグ・メッツから日本球界に復帰した。古巣の阪神ではなく、日本ハムを選んだ。登録名「SHINJO」で出場し、球宴54年目にして史上初となる単独でのホームスチールをやってのけたのだ。
本盗自体は78年の第2戦で簑田浩二(当時・阪急)が記録している。だが、これは1死一、三塁の場面で一塁走者・富田勝(日本ハム)との重盗を成功させたもので、単独は正真正銘の初だった。
セ 0 0 0 0 0 1 0 0 0=1
パ 0 0 1 0 1 0 0 0 ×=2
3回、先頭打者の新庄が左中間二塁打を放ち、村松有人の二ゴロなどで三進し、アウトカウントは2死だ。
三塁コーチに立っていた松中信彦(当時・ダイエー)が「走っていいんじゃないですか」と声をかけてきた。
同僚の打者・小笠原道大の6球目、捕手・矢野輝弘(阪神)が投手の福原忍(阪神)に返球した瞬間、スタートを切った。
ホームに向かって加速し、頭から豪快に滑り込んだ。判定はセーフ。ベース上で大の字にうつ伏せとなったまま、子供のように両手で地面をパタパタと叩いた。
「球宴初じゃなかったらやらないでしょ」
オールスター戦はあくまでもお祭りである。ほとんどの選手はケガをするような危険なプレーをしない。
この年の球宴は、球界再編問題で揺れていた最中に開催された。パ・リーグは消滅の危機さえあった。球界再編となれば、セ・パでの球宴は最後である。
新庄は胸を張った。
「ああいうプレーでもMVPを狙えるかな、と。パ・リーグを盛り上げるために、このぐらいやらないと」
全パの指揮を執った王貞治は「ビックリした。新庄らしい米国仕込みのプレーだった」と絶賛した。
新庄の打順は1番だった。初回に打席に立つと、左中間スタンドに向かって指を指した。大リーグで有名なベーブ・ルースの予告本塁打をまねたのだ。
ところが、直後にセーフティバントを試みた。これはアウトとなったが、球場は大喜びだった。開始早々、「新庄ワールド」に観衆を引きずり込んだのである。
この後、もう1本二塁打を放ったが、本盗成功が大きな決め手となってのMVP獲得。ショーマン新庄の面目躍如だった。
広島カープファンにとって1975年は忘れられない年である。
日本で初めて、外国人監督に指揮を委ねた。そのジョー・ルーツが、開幕からわずか15試合で退団した。審判とトラブルを起こして退場させられ、球団の対応に不満だったからだ。
その後、監督に古葉竹識が就任し、ルーツが手掛けたチーム改革を推進して、「赤ヘル軍団」を育て上げ、球団創設26年目にしてセ・リーグ初制覇を決めた。
その赤ヘル大躍進のシンボルとなったのが、7月19日、甲子園球場でのオールスター第1戦だった。
パ 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
セ 4 3 1 0 0 0 0 0 ×=8
28歳の山本浩二が3番、やはり28歳の衣笠祥雄が6番に座った。
1回裏、先頭の若松勉(ヤクルト)が安打で出塁すると、藤田平(阪神)が右中間三塁打を放って先制した。
続く山本がワンストライクからの2球目を左翼席に運んだ。
「藤田に先に打点を叩かれて、いかれたと思った。最初の打点を狙っていたオレに残されたのは、本塁打しかないじゃないか」
さらに王貞治、田淵幸一が倒れた2死後、衣笠が1-2からの4球目を左翼席に叩き込んだ。全パ先発の太田幸司(近鉄)から4点を奪った。
2回裏にも、2番手の山田久志(阪急)に襲い掛かり1死一、三塁とし、山本が右中間席へ3ランを打ち込んだ。そして3回裏には先頭の衣笠が1-1からの3球目を左翼席に運んだ。
両者はそろって、2打席連続本塁打である。山本5打点、衣笠2打点で、全セの8点のうち7点を叩き出した。
この年の球宴は異変が起こっていた。前年までは「巨人対全パ」の構図だったが、巨人勢の陰が薄い。
堀内恒夫、王、高田繁、末次利光らが出場していたが、第1戦のスタメンで巨人は4番の王だけだった。
74年の巨人は中日に10連覇を阻止されて、激動の時代に入った。川上哲治が勇退し、長嶋茂雄も現役を引退。川上の後を継いで監督に就任した。
しかし長嶋体制1年目の75年は開幕から振るわず、4月12日に最下位に落ちると這い上がれなかった。鯉のぼりまでのチームと言われてきた広島は、前半戦を3位で折り返していた。
広島は山本、衣笠、池谷公二郎、外木場義郎、大下剛史の5人が出場していた。
長嶋引退後、初の球宴。衣笠は背番号「3」を付けて、長嶋が17年間独占してきた三塁の守備についた。
2打席連続本塁打は球宴20年ぶりの記録。それを2人がそろって演じた。史上初だ。それはまた「赤ヘルブーム」の到来を予感させるものであった。
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり
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