野村はまさに記録の人である。現役通算3017試合出場、通算打率2割7分7厘、2901安打、657本塁打を歴史に刻んだ。
54年にテスト生として京都・峰山高から南海に入団。一度は解雇を言い渡されるが、粘り腰で契約延長を勝ち取った。
筒井敬三、松井淳といった先輩捕手を追い抜き、入団3年目の56年にレギュラー捕手へと成長した。翌57年には30本塁打で初の本塁打王を獲得するまでに。
だが、どんなに活躍しても三冠王を取ったとしても、脚光を浴びるのは、パの野村ではなく、セの長嶋であり王だった。
始終、大きなコンプレックスにつきまとわれた。
「私は記憶では長嶋にまったくかなわなかった。記録でも王の後塵を拝した。人気はいわずもがなだ。私は2人の引き立て役だった」
同時に2人への対抗心がエネルギーとなった。ことに天性の明るさからスーパースターの座に駆け上がっていく、長嶋に強烈なライバル心を持った。野村は有名な言葉を残している。
「長嶋や王がヒマワリなら、私は日本海の海辺に咲く月見草だ。自己満足かもしれないが、そういう花があってもいい。それが私を支えてきたのです」
名文句は本音でもあった。
さて、ヒマワリだった2人─。王は長嶋の三冠王を阻止したが、長嶋もまた王の三冠王を「あと一冠」で5度阻止している。
長嶋と王は2人だけで一度も食事をしたことがないという。「君子の交わりは淡きこと水の如し」である。
遠慮・忖度・馴れ合いは一切なかった。両雄は適度な距離を保ってライバル心を燃やし続けた。
お互いが高いレベルで成績を維持でき、最高のコンビだった。まさに「両雄は並び立った」のである。
長嶋は王をこう評していた。
「一口に言ってやっぱり、大きい選手ですよね。大きく感じる。何も打球が大きく、ライトへホームランを打つ力があるというだけではなくて、やっぱり人間として大きな、いい選手だと思います」
長嶋は三冠王こそ獲得できなかったが、その名は今後も永久に不滅である。
(敬称略)
スポーツライター:猪狩雷太