作曲家の小林亜星氏と服部克久氏。98年、音楽界の大御所の間で「仁義なき戦い」が勃発した。同年7月30日、都内のホテルで記者会見を開いた小林氏は、5年前に服部氏が作ったテレビ番組の挿入歌「記念樹」が、67年に自身がCMソングとして書いた「どこ...
記事全文を読む→小林亜星
お笑い第七世代には、現在進行形で尖っている芸人がいる。霜降り明星の粗品だ。先輩芸人でも簡単に下に見ている。チョコレートプラネット・松尾駿が楽屋入りしても、寝転んだまま起き上がることなく、適当な挨拶をかましたり、ミキの昴生に対しては「オレの前...
記事全文を読む→去る6月26日は、45年前の1976年のこの日に元プロレスラーのアントニオ猪木氏と、元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ氏(故人)との、「格闘技世界一決定戦」と称された異種格闘技戦が日本武道館で繰り広げられた日だ。プ...
記事全文を読む→日本レコード大賞に輝いた都はるみの「北の宿から」(75年)など歌謡曲だけでなく、今も流れる「日立の樹」や「積水ハウス」などのCMソング、「魔法使いサリー」や「科学忍者隊ガッチャマン」などのアニメソングにおいても、抜群の才能を発揮した作曲家・...
記事全文を読む→テリーCMソングで有名になった頃、亜星さんは結婚されていたんですか?小林していましたよ。最初の結婚は会社を辞めて音楽の仕事を始めた頃だったから、25歳ぐらいの時かな。いちばん苦労をかけた時期で、申し訳ないことをしたよね。テリーそれは新しい女...
記事全文を読む→テリーCMソングの名曲「ワンサカ娘」ですよね。「♪ドライブウェイに春が来りゃ」って、シルヴィ・バルタンも歌ってましたよね、懐かしいなァ。小林あれは妹がレナウンに勤めていて、テレビCMを作ることになった時に「うちの兄はCMソングを作っています...
記事全文を読む→テリープロフィールによると、亜星さんはもともと慶應大学の医学部にいらしたんですね。それが、どうして音楽の道へ進むことになるんですか?小林親父の実家が病院だったので、しかたなく行ったんだけど、僕はまったく興味がなかったんですよ。もともとすごく...
記事全文を読む→●ゲスト:小林亜星(こばやし・あせい)1932年、東京生まれ。慶應義塾大学在学中から音楽活動に熱中。卒業後はいったん就職するが、音楽の道へ進むため、作曲家の服部正氏に師事。レナウンの宣伝部に在籍していた妹の紹介でCMソング「ワンサカ娘」を手...
記事全文を読む→ホームドラマがテレビの王様だった70年代。その牙城に、圧倒的な個性で切り込んだのが「寺内貫太郎一家」(74年、TBS系)だ。巨漢の主人公を演じた小林亜星(83)が“嵐の季節”を回想する。名脚本家の向田邦子さんは、貫太郎に自分の父親を重ね合わ...
記事全文を読む→源自身が標的となったのは、同時期にタモリがパーソナリティを務めた「オールナイトニッポン」でのこと。同僚の水谷から「遊びに来ませんか?」と誘われ、ニッポン放送を訪れた。「そしたらディレクターが困った顔をしている。どうやら大阪からチンピラが乱入...
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