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記事全文を読む→仁徳天皇陵「菊のタブー」10の謎に迫る(2)陵墓への入場は厳しく制限
【4】埋葬されているのは誰なのか?
先にも触れたように、研究者からは「仁徳天皇陵」が本当に仁徳天皇の墓かどうかを疑問視する指摘も少なくない。歴史教科書でも、かつては「仁徳天皇陵」と書かれていたが、現在では「伝仁徳天皇陵」となっている。
実際、「仁徳天皇陵」が仁徳天皇の墓であることを示す直接的な証拠は見つかっていない。周辺は太古の昔から「中陵」という地名だった。平安時代の法令である「延喜式」によると、この名が仁徳天皇を指すため、平安時代から仁徳天皇の墓ということになり、幕末に決定されたという。だが、学術的には「決め手に欠ける」という見方が強い。
ちなみに古市古墳群には、仁徳天皇の父・応神天皇の墓と言われる「応神天皇陵」(誉田御廟山古墳)がある。国内2番目の大きさを誇る前方後円墳だが、こちらも、近くにある誉田八幡という神社の祭神が応神天皇だったという理由だけで応神天皇陵となったという経緯がある。
さらに今尾氏によると、「仁徳天皇陵」の近くにある「履中天皇陵」との関係を巡っても疑問が生じているという。
「履中天皇は仁徳天皇の皇子にあたるのですが、古墳の埴輪を比べると“息子の墓”に置かれている埴輪のほうが“父の墓”のものよりずいぶん古く、矛盾しているのです」
要するに、仁徳天皇を中心にした親子3代の墓は、近くにありながら具体的に誰がどの墓に埋葬されたのかわかっていない。「伝仁徳天皇陵」に応神天皇や履中天皇が眠っている可能性も否定できないというわけだ。
【5】これまで調査は行われてきたのか?
明治初期にあらわになった石室が見つかり、石棺や副葬品の絵図が描かれたことがあるが、以降、外部の研究者による本格調査は行われてこなかった。
昨年、宮内庁が堺市と共同で調査を実施したが、自治体と協力しての調査はこれが初だった。ただし、この時も古墳中心部の調査は行わず、堤の一部を調べるにとどまった。
【6】一般公開されないのか?
宮内庁は「静安と尊厳の保持」が重要だとして、陵墓への立ち入りを厳しく制限している。1979年から研究者の団体には調査現場が公開されるようになったが、一般公開には、まだ大きな制約がある。研究者の団体は、「国民共有の重要な歴史文化遺産である」として、公開を原則とした活用を求めている。
【7】遺体以外の埋葬品は?
【5】で触れた石室が見つかった際、人物埴輪の頭部のみが出土した。長い髪を束ねて頭頂部付近で折り返す島田髷に似た髪型が表現されており、祭祀に携わる巫女のような性格の女性を表現した埴輪であると推測されている。
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