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記事全文を読む→歴代総理の胆力「桂太郎」(2)名妓、女傑「お鯉」の存在
これにより、桂は西園寺公望に政権を譲ることとし、一方で西園寺からは、ポーツマス条約賛成を取り付けて面目を保った。その後の桂は、この西園寺と交互に内閣を率いることで第三次内閣まで務めることになるが、第二次、第三次内閣では見るべき成果はなく、実質的に桂の功績は第一次まで。西園寺との交互の政権は、「桂園時代」と呼ばれ、国内政治的にはしかし、安定期と言ってよかったのだった。
さて、桂の第二次内閣では、明治6年の征韓論争以来、長く議論の対立を生んできた「韓国併合」を、批判が渦巻く中で決断。ここで初めてわが国が韓国を保護国とした一方、発覚した明治天皇暗殺計画としての「大逆事件」では、幸徳秋水ら12名の社会主義者などを死刑としたが、特筆すべき政治的成果は見られなかった。
また、第三次内閣では「憲政打倒」のスローガンの高まり、大正デモクラシーの潮流に抗し切れず、わずか3カ月で総辞職を余儀なくされている。桂はその8カ月後に胃ガンで死去した。
一方、私生活はといえば、女性関係は伊藤博文、松方正義に似て“豪快”、死に水を取ったのは芸者上がりの4番目の妻・かな子であった。その4人の妻には、4男5女の子があるが、ほかにも芸者、女中などに人数不明の子を産ませている。そうした中での“白眉”の愛人は、総理大臣になってから囲った花街・新橋での売れっ子芸者だった「お鯉」であった。
「お鯉」は昨今なら、田中角栄元首相の政治生活を二人三脚で仕切った愛人、秘書でもあった佐藤昭子に匹敵するくらいの女傑で、数々の政治の舞台裏でヒロインを演じていたものだった。
桂の死後は「安藤妙照尼」として仏門に入り、昭和23年9月、69歳でその生涯を終えている。また、この「お鯉」の死は、長らく世間が寛容だったそれまでの「政治家と女」の関係について、第二次大戦終了までとそれ以後の戦後に分けての分水嶺にもなった。戦前と比べて戦後の国民の見方は厳しくなり、大きく変わったということである。
政治的、女性関係とも、明治日本とその後の二つの分水嶺の時代を生きた「ニコニコ宰相」と言えたのだった。
■桂太郎の略歴
弘化5年(1848)1月4日、長門国(山口県)萩城下の生まれ。ドイツ駐在武官、台湾総督を経て、第三次伊藤、第一次大隈、第二次山県、第四次伊藤の各内閣で陸相。53歳で首相。在任期間7年11カ月は歴代最長。大正2年(1913)10月10日。胃ガンのため65歳で死去。
総理大臣歴:第11代1901年6月2日~1906年1月7日、第13代1908年7月14日~1911年8月30日、第15代1912年12月21日~1913年2月20日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。
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