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記事全文を読む→歴代総理の胆力「近衛文麿」(4)椅子に腰掛け天皇奏上の“無礼”
近衛は、白皙の秀才だった。家柄は「五摂家」の中でも九条と並んで格が高く、ちなみに他の一条、二条は九条の、鷹司(たかつかさ)は近衛の分家となる。一高から東大哲学科に入ったが講義内容に飽き足らず、京大法科に入った。ここで、河上肇、西田幾多郎らから社会主義の影響を受ける一方、京大転学後に結婚したにも拘わらず祇園の芸妓と浮き名を流すなど、五摂家筆頭の家柄にしては、“世の礼法”にこだわらぬ一面もあった。
それは例えば、後年、忘年会の仮装でヒトラーの扮装をして後見人的存在の西園寺公望を嘆かせ、昭和天皇への奏上に際しても自ら椅子に腰掛けて話すなどの“無礼”を演じたことにも表れている。総理になったのは45歳だったが、すでに京大時代に公爵として貴族院に議席を持っており、43歳ですでに第5代の貴族院議長を経ていたのだった。
性格は“お殿様気質”ではあったが、とても陽性とは言えず、どちらかと言えば陰性だった。出生直後に母を、少年時代に父を失ったことから来ているのではとの後世の分析もある。時に、妻に「僕、寂しいんだよ」とはばかることなく口にしたとされるのも、こうした生い立ちからだったかも知れない。ここで言えることは、こうした陰性の性格が政権の座に就いたあと、軍部あるいは閣僚らと腹を割って話し合う雰囲気を殺(そ)いだだろう。そのことが、すべからくの決断力不足を招いたということのようである。
日米開戦を阻止できなかった近衛は、その後しばし「亡命のような」すなわち心ここにあらずの視線の定まらぬ生活が続いていたと言われている。
のちに、非自民政権から総理に担ぎ出され、金銭スキャンダルにもまれる中で政権を放り出さざるを得なかった細川護熙は文麿の孫にあたる。なるほどリベラルな体質、どことなくの“お殿様気質”、言葉は明解だが、心底から陽性は感じさせなかった性格、いささかの決断力不足など、どこかこの祖父に似ていないこともなかった。
■近衛文麿の略歴
明治24(1891)年10月12日、飯田橋生まれ。京都帝国大学在学中に世襲で貴族院議員。貴族院議長、訪米してフーバー、ルーズベルトの前・現大統領らと会見。大政翼賛会総裁をはさみ内閣組織。総理就任時、45歳。昭和20(1945)年12月16日、毒物により自殺。享年54。
総理大臣歴:第34代1937年6月4日~1939年1月5日、第38・39代1940年7月22日~1941年10月18日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。
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