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記事全文を読む→武豊と名馬たち「ダンスインザダークの首差惜敗で学んだ“ダービーVへの道”」
メジロマックイーンが引退した翌94年、武はスキーパラダイスでフランスのムーランドロンシャン賞を勝ち、日本人騎手による海外GI初制覇を達成。95年には史上最速・最年少でJRA通算1000勝をマークし、「天才」の名をほしいままにしていた。
そんな彼にとっても、日本ダービーだけは「遠いタイトル」だった。デビュー2年目の88年に初参戦して16着、89年10着、90年5着、91年19着、92年騎乗馬なし、93年3着、94年4着、95年8着。唯一近づいたと言える93年の3着は、自らの手綱で皐月賞を勝たせたナリタタイシンによるものだったが、「惜しい3着」ではなく、「目一杯力を引き出しての3着」だった。
──ダービーを勝つ馬って、どんな馬なのだろう。
と思っていたときに、ダービーのゴールがグッと近づいたように感じさせてくれる若駒に出会った。
ダンスインザダークである。旧3歳だった95年の夏、千歳の社台ファームで跨って惚れ込み、管理することが決まっていた橋口弘次郎に、ぜひ乗せてほしいと申し出た。
武・ダンスは同年12月3日の新馬戦を勝つも、暮れのラジオたんぱ杯3歳Sで3着、翌96年のきさらぎ賞では2着に敗退。つづく弥生賞を勝って皐月賞の有力候補になったが、直前に熱発して回避し、ダービーに照準を絞った。そして前哨戦のプリンシパルSを好位から抜け出す横綱相撲で勝ち、ダービーに参戦した。
6月2日の第63回日本ダービーで、ダンスの単勝は2・3倍。武がダービーで1番人気の馬に乗るのは、これが初めてだった。
好スタートを切ったダンスは、やや掛かり気味に逃げ馬を追いかけ、2、3番手で1コーナーを回った。そのまま好位の内を進み、最後の直線、残り400メートル地点で抜け出し、勝利をつかみかけたところで、外から猛追してきたフサイチコンコルドに差され、首差の2着に惜敗した。
「1コーナーまで行きたがったことが響いた。前走のプリンシパルSで、もっと違った乗り方をすべきだったかもしれない」
武は、敗因についてそう語った。前哨戦で、ただ勝つのではなく、ダービー本番を見据えて折り合う走りを覚えさせるべきだった、と考えたのだ。特にダービーのような若駒による大舞台の場合、勝因や敗因はそのレースのスタートからゴールまでの間にあるとは限らない。ゲート入りするまでにやっておかねばならないことの重要性を、彼はこの敗戦から学んだ。そうして悔しさを噛みしめながら蓄積した手法が、のちのダービー制覇へとつながっていくのである。
秋、ダンスは菊花賞を勝ち、春の無念を少しだけ晴らすことができた。
◆作家 島田明宏
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