ローズ敬遠の残像がまだ焼き付いている翌02年、苦汁をなめたのは西武のカブレラだった。55号で日本記録に並んだ直後に対戦したのは、またしても王ダイエー。ここまでくると、仕組まれた因縁なのでは、と思いたくもなる。01年に西武作戦コーチとしてローズと対戦、02年は西武監督としてカブレラの悲哀を見てきた伊原春樹氏が振り返る。
「当時は王さんが打ち立てた記録を外国人に破られるのはダメだという風潮はありましたよ。王さんのファンは今も昔も多いですから、その気持ちも理解できる。ファン心理としてはアリだと思います。でも戦っている側からすれば、両年ともチームの優勝がかかっていましたから、個人の記録よりチームの勝利が優先でした。そういう中で近鉄と対戦すれば当然、ローズを敬遠しなくては勝てないという状況もあった。ただ、記録更新を阻止するためだけの敬遠はしたことはなかった。ましてや優勝がかかっていないチームが記録更新阻止のために敬遠をしていたのは残念でなりません。ローズもカブレラもあれだけ本塁打を量産してお客さんを魅了してきたのだから、王さんの記録だろうと、新たな記録を作ったのなら称賛されてしかるべきだと思っていました」
では、問題のあの10月5日、ダイエー戦のカブレラについてはどうなのか。伊原氏はまず、そこに至る過程から説明を始めた。
「私もカブレラには『60本いけるぞ』、あるいは『王さんの記録を抜けよ』と、ハッパをかけていました」
しかし、55号が近づくにつれ、対戦相手からの敬遠が頻度を増していく。
「二死走者なしという場面で歩かされたこともありました。カブレラはヘルメットを前後逆にかぶって打席に立つなど、抗議の意を示していましたよ。あのダイエー戦でも、3四死球。20球中18球がボールでした。試合後にカブレラは『王監督はもう少し投手にストライクを投げるように指導すべきだ』と言っていた。私としてはそうなることは予想できていたので『とにかくガマンだ』と繰り返し諭しました。自分から(打撃を)崩していくことが心配だったのでね。確かにカブレラはイラだっていたが、敬遠よりも大きなプレッシャーを感じていたのでしょう。それが記録更新を封じたのかもしれない」
重圧すらも「王の呪縛」だったのか。だが、当時を知る球界関係者はこんなことを明かすのだ。
「実は“中内指令”があったのです。ダイエーの中内功オーナーは『記録を超されたくない。世界の王さんの記録は守らないといけないだろう』と非公式に発言しています。そんな話が現場に漏れ伝わってくれば、コーチ陣は気を遣わざるをえない」
こうして見ると、いずれも「絶対的存在」の意思の外でさまざまな心象風景、動きがあったことがわかる。伊原氏はそれを、先の若菜氏に同調するように、
「もう記録阻止のために敬遠などしている時代ではない。メジャーではイチローが日米通算4000本安打を記録し、現地でも喜ばれている。外国人だから破られてはいけないと言っている場合ではありません」
と断じるが、まさしく新たな刺客の手によって、いよいよ50年の呪縛が解かれる「その時」が訪れる。