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記事全文を読む→“日本のリヴァプール”博多スーパースター列伝<第1回>井上陽水(3)
陽水を中央に送り込んだRKBはもちろん、ラジオ局やプロモーターの「シンパ」は全国に広がってゆく。中でも印象的だったのが名古屋・東海ラジオでやっていた森本レオの番組だ。川瀬は、ディレクターと森本、それに陽水との4人で打ち合わせをした。
「そこでレオさんが陽水を『おもしろいねえ』と気に入ってくれて。通常は2時間の番組で2~3曲でしょうけど、彼から『陽水特集にしていい?』って、アルバム丸ごと流してくれた」
まだ東京や大阪でも無名なのに、名古屋では翌日からアルバムがバカ売れする。そして岩手、札幌、郡山と陽水を認めたディレクターたちによって局地的な人気が上がっていった。
アルバムやシングルの売上げも徐々に上昇していったが、初のベストテンシングルとなったのが「心もよう」(73年9月)である。今でこそ違和感のないタイトルだが、実は「心もよう」とは多賀による造語だ。
さらに、B面は忌野清志郎との共作「帰れない二人」が収められているが、多賀以外は全員がこちらをA面に推した。
「言ってみれば『帰れない二人』はファンタジーで、若者の生々しいもどかしさや苛立ちを描いたのが『心もよう』だった」
時代の空気を見抜く目は、陽水以上に多賀のほうが長けていたようだ。この大ヒット曲に続けて出したアルバムが「氷の世界」(73年12月)──日本で初めてミリオンセラーを記録した歴史的な名盤である。
RKBの野見山は、発売日の朝に博多・天神で最も大きいレコード店の前を通りかかった。
「開店の前に100人くらい並んでいましたねえ。それでシャッターが開いたとたん、段ボール箱に札束を詰めていく状態でアルバムが売れていった」
当時のLPレコードは2200~2300円だが、ちょうど40年前の貨幣価値を考えれば、まさしく空前絶後の売上げだろう。
そして川瀬は「氷の世界」の発売から40周年の13年、ある番組の企画でアレンジを担当した星勝やギターの安田裕美とともに陽水を囲んだ。
「当時のマルチテープを聴いたら、ほとんどがテイク1かテイク2で済んでいる。いかに陽水がボーカリストとしても卓越していたか、改めて感じました」
収録曲の「心もよう」もそうだが、陽水にとって福岡は郷愁を忘れない街である。93年4月10日に行われた福岡ドームのこけら落としコンサートには、陽水、武田鉄矢、財津和夫、甲斐よしひろの「福岡BIG4」が集結。この夢の組み合わせは、野見山がRKBを定年退社することへの恩返しがきっかけであった。
「鉄矢が言い出しっぺで、陽水がいろんなミュージシャンに声をかけてくれた。東京からマスコミも150人くらい来ましたし、会場も超満員。あれをきっかけに各地で集まろうとの機運がありましたが、結局、実現は福岡だけでした」
博多っ子たちの〈純情〉は、音楽において今も結びついている。
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