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記事全文を読む→“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第4回>海援隊(3)
〈二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた〉
武田の自伝的な歌詞で、映画化・ドラマ化もされた代表作が「思えば遠くへ来たもんだ」(78年9月)である。オリコンの100位以内にランキングされることはなかったが、隠れたロングセラーと呼べる。
「今でも海外で赴任生活を送る方から『現地のカラオケでこれを歌っては涙する』と言ってもらえますね」
作曲した山木が感慨深げに言う。筆者にとって、77年10月に熊本・天草で「初めて見たコンサート」がふきのとうであった。とりわけ、デビュー以来の大ヒットとなった「風来坊」を披露すると、場内が大歓声に包まれていた。
「いい歌を作ったなあ」
事務所の先輩である武田は素直に山木を称賛した。さらに──、
「武田さんに『ああいう感じの曲を俺にも書いてくれよ』と言われたんですよ。その数日後には武田さんの詞ができて、電話口で聞かせてもらい、すぐにメロディが浮かびました」
武田の詞は基本が「七五調」であるため、曲が乗せやすかった。出来上がった曲を持って恵比寿にある武田のアパートに行き、そこで歌ってみせた。
「台所にいた奥さんが『あら、いい歌ね』と言ってくれて、初めてプロになった感じがしましたね。あんなに美味しいビールを飲んだのも初めてでした」
ふきのとうがデビューしたばかりの頃、海援隊のステージには圧倒された。観客とのキャッチボールであったり、曲名を告げただけで拍手が起こる場面などは、山木にとって指針となった。
また札幌出身のふきのとうにとって「博多の絆」も魅力だった。70年代半ばには中島みゆきや松山千春ら「北海道発」も増えてくるが、当時は差を感じた。
「東京からの距離は札幌も博多も変わらないけど、向こうは関門海峡を越えることに『負けて帰れない』という意識が強い。それに博多の放送局の人たちが、自分の子供のようにアーティストを可愛がって食事に連れていく。とてもうらやましかったです」
山木は武田のソロも含め、多くの曲を海援隊に提供している。そして山木がうらやましいと感じた博多のディレクターたちは、海援隊が「贈る言葉」(79年11月)で再び脚光を浴びるまでの不遇時代も支え続ける。
TNCの藤井は、少しでも収入になるならと海援隊の営業を入れた。
「デパートの屋上とか、博多どんたくのお祭り会場とか、たびたび呼んだよ。武田には『たまには屋根のある会場に呼んでください』と冗談を言われたけどね」
RKBの野見山に定年が近づくと、まず武田が「もうすぐですよね」と聞いてきた。天神にある行きつけのスナックでのことだ。誰にも言っていなかったのに武田が音頭を取り、その輪はやがて陽水や財津和夫、甲斐よしひろも巻き込んで「福岡ドームのこけら落とし」につながった。
野見山が渡した「東京地図」は海援隊を迷子にすることなく、故郷に凱旋させたようだ──。
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