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記事全文を読む→江川卓、エースの背番号「18」を巨人球団から提案も「固辞したワケ」とは?
巨人軍において背番号「18」といえば、中尾碩志氏(故人)、藤田元司氏(故人)、堀内恒夫氏、桑田真澄氏、杉内俊哉氏と継承されたエースナンバーだ。
中尾氏は、1948年に27勝で最多勝を獲得するなど、途中戦争でチームを離れたものの、プロ通算209勝を挙げている。藤田氏は、57年のルーキーイヤーに17勝で新人賞に輝くと、翌58年に29勝、59年は27勝で最多勝を獲得するといった剛腕ぶり。堀内氏は、言わずと知れた「巨人V9」時代を支えたエースであり、現在、巨人の1軍投手チーフコーチを務める桑田氏や、2012年に福岡ソフトバンクホークスから移籍した杉内氏の活躍は記憶に新しいところだろう。
そんな中、背番号「30」の江川卓氏に、実は「18」の提案があったことを、自身のYouTubeチャンネル〈江川卓のたかされ【江川卓 公式チャンネル】〉の、2月20日付け投稿回で明かしている─。
江川氏が入団した79年時に球団側から提案された背番号は「13」「30」に加え、江川氏に代わって阪神に移籍した小林繁氏(故人)がつけていた「19」だったそうだ。が、小林氏の「19」は心情的につけるわけにはいかず…と、考えた末、昭和30年生まれの江川氏は「30」を選択。
ところが、堀内氏が83年のシーズンを限りに引退。「18」が空いたことから、再度エースナンバーの提案を球団から受けたそうだが、最初につけた背番号の「30」を自身のナンバーとして刻もうと江川氏は「18」を固辞したというのだ。
その後、85年ドラフト1位入団の桑田氏が「18」をつけるに至り、桑田氏が引退したからこそ言える話だ、と明かした江川氏だった。
「昭和の怪物」と称された江川氏が巨人のエースナンバーを背負っていなかったことには、あらためて意外な思いだが、江川氏らしいとも思える興味深い話が拝聴できた。
(ユーチューブライター・所ひで)
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