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記事全文を読む→天武天皇を即位させた「偵察と奇襲」のスペシャリスト/実在した「忍者」の禁断秘史(5)
多胡弥(たこや)という忍者がいる。その名は延宝四年(1676年)に編纂された「萬川」に見ることができるが、彼は大海人皇子、のちの天武天皇に仕えた忍者だった。詳細は伝わっていない。
天武天皇元年(672年)、天智天皇の皇弟・大海人皇子と天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇)の皇位継承争いが勃発した。古代史上最大の内乱と呼ばれる、壬申の乱である。
壬申の乱は先制攻撃を仕かけた大海人皇子側が勝利した。この戦いで、大友皇子が山城国愛宕郡の城に籠城したことがあった。籠城した相手を攻めるためには、その何倍もの兵力を擁する。だが当然、戦力だけではなく、戦略も必要となってくる。
大海人皇子はその戦略的なアドバイスを当時、来日していた中国人に求めたという話がある。その中国人は、戦いを始める前の偵察の重要性を指摘したという。偵察といえば、忍び=忍者と相場が決まっている。
前半生が謎に包まれている大海人皇子=天武天皇だが、「日本書紀」に「天文遁甲を能くしたまえり」という記述がある。「天文」は占星術のことで、「遁甲」は忍術だ。自らも忍術の修行をしたと思われる天武天皇は当然、忍者のネットワークを持っていたに違いない。そのネットワークを利用して頼ったのが、今の奈良県に住んでいたといわれる多胡弥だった。
多胡弥は偵察だけではなく、敵の攪乱、夜討ちなどの奇襲も得意としていた。大友皇子が籠城した愛宕郡の城攻めの際、多胡弥は城に潜入し、中から放火活動を行った。そして火の手が上がったのをきっかけに正規軍が外から攻撃し、落城させたという。
「天皇」を初めて称号し、「日本」を国号とした最初の天皇と呼ばれる天武天皇=大海人皇子を即位させたのは、名もなき忍者のバックアップがあったからかもしれない。
(道嶋慶)
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