社会

伊賀忍者48人が変装して沢山城内に侵入し…/実在した「忍者」の禁断秘史(7)

 伊賀忍者の中には、上忍三家がある。上忍というのはいわば、忍者集団の総司令官的な役割を担い、中忍、下忍を指揮する立場にある。その三家が服部、百地、そして藤林である。

 上忍三家の百地家が伊賀国の内部を拠点としていたのに対し、藤林家は伊賀国の北部を基盤としていた。その藤林家の当主として有名な人物が藤林長門守、本名は保豊だ。伊賀北部の阿拝郡湯舟郷出身で、現在も同地に伝藤林長門守堡跡が残っている。

 当初は駿河の大大名・今川義元に仕えて駿府に居住したが、本領に騒動があり帰国。妹が南近江の大名・六角義賢の妾となっていた縁もあり、六角氏の仕事を請け負うようになった。

 永禄年間、六角義賢に仕えていたころ、義賢配下の百々氏(どどし)が再三にわたって謀反を繰り返していた。義賢は百々氏を討伐するため居城・沢山城を攻めたが、なかなか落とすことができなかった。

 そこで義賢は、藤林長門守に攻略を要請。長門守は配下である楯岡道順に命じて、沢山城に向かわせたという。楯岡道順は伊賀忍者48人を変装させて城内に侵入させ、火を放って攪乱。落城にひと役買っている。

 その後の長門守の消息は不明だ。天正時代、織田家が伊賀惣国一揆と戦う、天正伊賀の乱が起きた。天正六年(1578年)から天正七年(1579年)にかけての第一次天正伊賀の乱は伊賀衆が勝利したが、その2年後の天正九年(1581年)、第二次天正伊賀の乱が勃発。5万人とも10万人ともいわれる織田軍に壊滅させられたが、長門守は織田側について生き残ったという説もある。

 また、柏原城にこもって徹底抗戦し、百地丹波と同一人物で寛永十七年(1640年)、84歳まで生きたという話も残っている。

 なお、子孫の藤林保武は忍者の姿を伝える貴重な史料「萬川集海」を著している。

(道嶋慶)

カテゴリー: 社会   タグ: , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    医者のはなしがよくわかる“診察室のツボ”<マイクロスリ―プ>意識はあっても脳は強制終了の状態!?

    338173

    昼間に居眠りをしてしまう─。もしかしたら「マイクロスリープ」かもしれない。これは日中、覚醒している時に数秒間眠ってしまう現象だ。瞬間的な睡眠のため、自身に眠ったという感覚はないが、その瞬間の脳波は覚醒時とは異なり、睡眠に入っている状態である…

    カテゴリー: 社会|タグ: , , , , |

    医者のはなしがよくわかる“診察室のツボ”<紫外線対策>目の角膜にダメージ 白内障の危険も!?

    337752

    日差しにも初夏の気配を感じるこれからの季節は「紫外線」に注意が必要だ。紫外線は4月から強まり、7月にピークを迎える。野外イベントなど外出する機会も増える時期でもあるので、万全の対策を心がけたい。中年以上の男性は「日焼けした肌こそ男らしさの象…

    カテゴリー: 社会|タグ: , , , , , |

    医者のはなしがよくわかる“診察室のツボ”<四十肩・五十肩>吊り革をつかむ時に肩が上がらない‥‥

    337241

    最近、肩が上がらない─。もしかしたら「四十肩・五十肩」かもしれない。これは肩の関節痛である肩関節周囲炎で、肩を高く上げたり水平に保つことが困難になる。40代で発症すれば「四十肩」、50代で発症すれば「五十肩」と年齢によって呼び名が変わるだけ…

    カテゴリー: 社会|タグ: , , |

注目キーワード

人気記事

1
【戦慄秘話】「山一抗争」をめぐる記事で梅宮辰夫が激怒説教「こんなの、殺されちゃうよ!」
2
神宮球場「価格変動制チケット」が試合中に500円で叩き売り!1万2000円で事前購入した人の心中は…
3
巨人で埋もれる「3軍落ち」浅野翔吾と阿部監督と合わない秋広優人の先行き
4
永野芽郁の二股不倫スキャンダルが「キャスター」に及ぼす「大幅書き換え」の緊急対策
5
「島田紳助の登場」が確定的に!7月開始「ダウンタウンチャンネル」の中身