連れ合いの従姉Aさんが小脳と大脳の出血で倒れたのは、昨年3月のことだ。帰宅途中に体調が悪くなったので、必死の思いで自力で救急車を呼び、一命を取り留めることができたが、一時は生命の危機が迫る事態だった。お見舞いに行こうと思っていたのだが、コロ...
記事全文を読む→本能寺の変で織田信長と運命を共にした男/実在した「忍者」の禁断秘史(6)
天正十年(1582年)に起きた本能寺の変で、織田信長とともに運命を共にしたといわれる甲賀忍者がいる。伴太郎左衛門尉資家である。
太郎左衛門は近江国甲賀郡(現・滋賀県甲賀市水口町)の郷士の出で、当初は主に戦国大名の六角氏から仕事を請け負っていた。
この当時の忍者は、どこかの大名家の家来という立場ではなかった。いくつかの大名家から仕事の要請を受けて、その都度、報酬をもらうという、いわばパートタイマーのようなものだった。
そのため、六角家の力が衰え始めたのをきっかけに、他家の仕事を積極的に請け負うようになった。そのひとつが記録に残っている。永禄五年(1562年)、徳川家康がまだ21歳で、松平元康と名乗っていた頃の三河・上ノ郷城攻めである。
この今川方の城を攻める際、太郎左衛門は配下の甲賀忍者80人を率いる特殊部隊として城内に潜入。火を放ち、「裏切り者だ」と騒ぎ立てて敵方を攪乱し、落城させた。城主の鵜殿長照は討ち死にし、長照の子である氏長、氏次は人質になったという。この2人が、元康が今川方に差し出していた正室・瀬名姫、嫡男・竹千代、長女・亀姫らの交換要員となったことを考えれば、貢献大だ。
太郎左衛門はその後、織田信長の家来になった。信長に心酔していたのだろう。その証拠に、本能寺の変では切腹前に信長に命じられて寺に火をつけ、信長の遺体が見つからないように工作。太郎左衛門の忍術をもってすれば騒乱の中、闇に紛れて逃げ延びることも可能だったかもしれないが、果敢に寺から討って出て、明智方に討ち取られている。ビジネスライクな当時の忍者らしからぬ最期といえよう。
この太郎左衛門の先祖は、いわくつきの人物だ。貞観八年(866年)、応天門が放火される応天門の変が起きた。当初は左大臣・源信の犯行とされたが、のちに密告者だった大納言・伴善が真犯人だったとされ、流刑になっている。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
昨年あたりから平成レトロブームを追い風に、空前の「シール」ブームが続いている。かつては子供向け文具の定番だったシールだが、今や「大人が本気で集めるコレクターズアイテム」として存在感を放つ。1980年代から90年代を思わせる配色やモチーフ、ぷ...
記事全文を読む→鉄道などの公共交通機関で通勤する人が、乗車の際に使っている定期券。きっぷを毎回買うよりは当然ながらお得になっているのだが、合法的にもっと安く購入する方法があるのをご存じだろうか。それが「分割定期券」だ。これはA駅からC駅の通勤区間の定期券を...
記事全文を読む→今年も確定申告の季節がやってきた。「面倒だけど、去年と同じやり方で済ませればいい」と考える人は少なくないだろう。しかし、令和7年分(2025年分)の確定申告は、従来の感覚では対応しきれないものになっている。昨年からの税制の見直しにより、内容...
記事全文を読む→

