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記事全文を読む→「織田信長の専属料理人」が起死回生の一手でふるまった「下品な田舎料理」
天下人になった織田信長は、その食事は決して絢爛豪華なものではなかったといわれる。なにしろ、味音痴だったのだ。
そんな武将にも「専属料理人」がいた。坪内石斎という人物だ。
永禄11年(1568年)、信長は上洛の際、かねてより捕虜にしていた石斎に料理を作らせた。石斎は当時、作れない料理はないといわれるほどの名料理人だった。鶴料理や鯉料理だけでなく、儀礼の食事にまで精通していた。石斎は腕をふるい、京風の薄味ながら、味わい深い料理を提供したという。
ところが信長はひと口、箸をつけると、
「まずい。水っぽくて食えない」
と大激怒。即座に石斎を手打ちにしょうとしたのである。瞬間湯沸かし器として有名な信長に対して石斎は、
「もう一度、チャンスを下さい。次ダメなら切腹します」
そう懇願したのである。
もちろん命が惜しかったこともあるが、この時、石斎は閃いたらしい。
翌日、石斎が作った料理を口にした信長は大絶賛。石斎を即座に専属料理人として召し抱えたという。
実はこの料理には「カラクリ」があった。当時の戦国武将の食事は、えてして粗末なものだった。しかも尾張、今の名古屋出身の信長は焼き味噌など味の濃いものばかりを食べており、京風の出汁が効いた料理など、口に入れたこともなかった。そのため、石斎は二度目にとにかく味の濃い料理を作り、ふるまったのである。
後日、石斎はタネ明かしをしてみせた。
「前日の料理は(かつて料理人として仕えていた)三好家の家風にあった、品のある料理。今回は味の濃い、下品な田舎料理でした」
これを聞いた人たちは「信長に恥辱を与えた」と、内心では拍手喝采したという。ある意味、この時代の信長に勝った、唯一の人物かもしれない。
(道嶋慶)
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