ワークマンの「不審者パーカー」をご存知だろうか。正式名称は「レディースクールUVサンシェードパーカーEX+」(税込2300円)。目元だけをメッシュで残し、顔から手の甲まで完全封鎖するそのシルエットが、SNSで「不審者みたい」と話題になったの...
記事全文を読む→DJ KOO 小室哲哉との初対面はどんな感じだった?
テリー 小室さんとの初対面ってどんな感じだったんですか。
KOO ご挨拶に行ったのは小室さんのスタジオだったんですけど、もう衝撃的でしたね。それまでは「アンダーグラウンドこそが格好いいんだ」って思ってたんですけど、シンセ(サイザー)が何台もあったり、何千万もする機材があったりして、「何だこの世界は!」っていう。
テリー それまでの価値観が一気に吹っ飛んだ。
KOO はい。それで「すみません、明日も見学に来ていいですか」って小室さんに言って、そこから毎日、半年以上通い続けました。
テリー 行って何するんですか。
KOO 別に何をするわけじゃないんですけど、ずっと小室さんのそばにいて、アルバム制作を手伝ったり、そのうち一緒にロンドンまで行くようになったり。それで何年かずっと小室さんのそばにいさせてもらって、trfに至るというところですね。
テリー そもそもDJを始めたきっかけは何だったんですか。
KOO 僕はずっと沢田研二さんが好きで、ミュージシャンになりたくてロックバンドでギターを弾いていたんですよ。でも、なかなかデビューできなくて、いったんその夢を諦めて、専門学校に行くんですね。
テリー 音楽系の学校じゃなくて、神田外語学院ですよね。
KOO ええ。でも、その専門学校時代にディスコが大好きになって、通うようになったんですよ。
テリー それは何でだったんですか。
KOO 僕、柏日体高校(現在の日本体育大学柏高校)っていう体育会系の学校で3年間ラグビー部で、それまでディスコなんか行ったことなかったんですよ。でも、一度行ったらいきなりタガが外れてしまったんですね。
テリー もともと音楽好きですもんね。
KOO それで専門学校の時のサークルが、学園祭の時にディスコみたいなことをやっていて、「ちょっと俺にもDJやらせてよ」って言ったんですよ。それで「さあ、次の曲はクール&ギャングのセレブレーション!」みたいにやったら意外にイケたんですね。いつもディスコでDJがしゃべってるのをずっと聞いてたから、「うまいじゃん」って言われたんです。
テリー ああ、なるほど。
KOO それで、ディスコの見習いになったという感じです。
テリー 見習いってバイトみたいなもの?
KOO 見習いは当時、無給ですね。落語家さんの前座、二つ目、真打みたいな感じで、DJにも見習い、セカンド、チーフっていうのがあるんですね。それこそ見習いは先輩から「ラーメン買ってこい」とか言われるんですけど、僕、日体大柏のラグビー部でしたから、そういうの得意だったんですよ。
テリー 縦社会に慣れてたんだ。
KOO 他のどの見習いより早くおいしいラーメンを買ってこれたんです(笑)。それもあって半年ぐらいでセカンドに上がって、19の時にはチーフDJになってました。
テリー チーフになると相当稼げるんですか。
KOO 40年前で月12万円ぐらいです。当時で言うと大学の新卒の初任給ぐらいですよ。
テリー 十分ですよね。
KOO で、そのうちヒット曲なんかをディスコでかけられるようにアレンジする「ダンスミックス」を制作するようになるんです。それがdjhonda君たちと組んだ「The JG’s(ザ ジェイジーズ)」っていうチームだったんですけど。それがけっこう評判になって、久保田利伸さん、早見優ちゃん、岩崎良美さんとか、そういう人たちの曲をミックスする仕事ができるようになるんですね。
アサ芸チョイス
11月8日、歌手・島倉千代子(享年75)が肝臓ガンで死去した。島倉といえば、演歌の王道を歩むように、その生き様は苦労の連続だった。中でも、莫大な借金返済で味わった地獄は理不尽極まりなかったようで──。島倉は、男を信じて手形の保証人となったせ...
記事全文を読む→三陸沖で再び地震が発生し、富士山噴火を危惧する特番が組まれ、高市政権は武器輸出を解禁─この不穏な流れは何かの兆しなのか?いち早く察知したのは「Mr.都市伝説」関暁夫氏だ。30年以上前に作られたカードが、驚愕の未来を暗示しているという。いった...
記事全文を読む→世界の大谷翔平の背中を追う「後継者」が、同じ米国で静かに存在感を強めようとしている。日本を経由せずに米大学で名を馳せて、即メジャー入団を夢見る怪物のことだ。ところが今、その進路を巡って“別シナリオ”が確定的と言われているのだ。は...
記事全文を読む→

